『未完のフィリピン革命と植民地化』早瀬晋三(山川出版社)
「著者のメッセージ」として、つぎのように書いた。「フィリピンは歴史的にアメリカの強い影響を受けながら、経済的に豊かにならず、政治的にも安定していない。アメリカがリードする時代であるなら、フィリピンはアメリカが理想とする模範的な国家になっていても不思議ではないのだが・・・。その謎は、未完に終わったフィリピン革命とアメリカ植民支配下の国家形成にある。また、フィリピンの近代に、日本はどのようにかかわったのか。今日のフィリピンの原像を明らかにし、アメリカ主導の世界、日本とほかのアジアとのかかわりを考える」。
こういう教材に使われる本としてもっとも大切なことは、これまでの研究成果をもとに、正確でわかりやすく書くことだろう。しかし、それは、専門書・論文を書くより、はるかに難しい。歴史学の専門書・論文であれば、原史料を忠実に読み、根拠をひとつずつあげながら書けばいいのだが、一般書は違う。
本書の後半の「③近代植民地国家の形成」「④フィリピン近代史のなかの日本」は、専門書・論文を書いたことがある部分で、記述の背後にこれまで読んできた膨大な原史料があった。しかし、前半の「①フィリピンにとっての近代」「②未完のフィリピン革命」は、原史料をほとんど読んでいない部分だ。『世界各国史6 東南アジア史Ⅱ 島嶼部』(山川出版社、1999年)や『山川 世界史小辞典(改訂新版)』(山川出版社、2004年)、『フィリピンの事典』(同朋舎、1992年)などで基本的事実を確認しながら、内外の関係書を参考にして書くことになる。一般書や事典・辞典の記述は、字数制限もあり、単純化してわかりやすく書かれている。それを読んだわたしは、単純化して理解し、さらに単純化してわかりやすく書こうとする。その結果、注意深く書かれた最初のものとはずいぶん違う、ずさんで誤りを含んだものになる危険性がある。
さらに悪いことに、フィリピン史研究のように研究蓄積が充分でなく、日本に専門家が数人しかいない分野は、研究の発展や研究者個人の「新たな知見」によって、同じ執筆者でも一般書や事典・辞典の記述が違ってくることがある。わたしも、いくつかの事典・辞典の項目を書いてきたが、最近書いたもののなかには従来のものと違うものがある。わたしがかつて書いた記述を参考にして、新たに書いた原稿の訂正を求めてきた編者もいた。事典・辞典の項目のなかには、その分野で専門書・論文を書いたことのない者が書くこともあるので、注意が必要だ。
このような背景から、本書も危うく初歩的な間違いに気づかず出版するところだった。それを救ってくださったのは、本書前半部分の日本の第一人者、池端雪浦先生だった。先生が読んでくださると申し出てくださったお蔭で、正確になっただけでなく、奥深いものになった。本リブレットでは、「謝辞」を書かないことになっているため、この場を借りてお礼を申しあげます。わたしが恥をかかずにすんだだけでなく、もっとも得をしたのは読者です。
編集者の猪野甲紀さんにも、いくつも助けられた。世界史のなかでのフィリピン史を意識したため、「世界史」の事実確認で不充分なところがあった。たとえば、ヨーロッパ史にかんする記述で、2004年に出版された『山川 世界史小辞典 改訂新版』に従って書いたものが、同辞典の記述と違うという指摘を受けた。2007年3月20日発行の第2刷を見ると確かに違っていた。本書の原稿締め切りは2007年3月31日だったので、執筆時点で参考にしたのは2004年発行の第1刷だった。校正の段階で、最新の事典・辞典、それも複数にあたらなかったわたしのミスである。校了直前に指摘してくださった猪野さんに感謝します。
しかし、このリブレットが高等学校で教材のひとつとして使われるのなら、「正確でわかりやすい」だけでなく、もうひとつ大切なことがある。2006年に明らかになった必修世界史未履修問題に答えるということだ。いまだ、世界史が必修であることに納得していない教育関係者、研究者、世間一般の人びとは多いと考えられ、その原因のいったんは教科書や本書のような教材にある。
その納得していない人びとにたいして、なぜ高等学校での世界史履修が、卒業後の人生に重要であるかを伝えなければならない。「世界史履修無用論」の背景には、文献史学を基本とした近代歴史学が、もはやいまの社会にあわなくなってきていることがある。いま、そしてこれからの社会に必要な歴史を模索している歴史研究者は、いろいろな新しい概念を試みている。しかし、それがまだ近代の歴史観にとってかわるところまできていない。当然である。長い年月をかけて築いてきた近代の歴史観は、それなりに無難で安心できるからである。それに安住したことから、「世界史履修無用論」が出てきたのではないだろうか。いま必要なのは、安心して読める歴史叙述だけでなく、これからの社会に必要な歴史叙述に変わろうとしていることを示すことではないだろうか。そんなことを考えながら、書いたのだが、・・・。