『光秀曜変』 岩井三四二 (光文社)
表紙には二代目中村鴈治郎のような陣羽織を着た老人が描かれている。ずいぶん老けた光秀だなと思ったが、本作は光秀の享年として67歳説をとっており、老けているのがポイントなのだ。
二つのストーリーを平行して語るカットバックの手法がとられており、第一のストーリーでは天正7年から本能寺の変までの4年間が光秀の一人称で語られる。
第一のストーリーの合間にはさみこまれるのが第二のストーリーで、本能寺の変から山崎の合戦、潰走、坂本城落城までが語られるが、語り手は光秀にゆかりのあった人々だ。
明智左馬助のような一門衆から斎藤内蔵助、藤田伝五のような史書に名の残る明智軍団の幹部、旧幕臣の寄騎衆、現場の指揮官や兵卒、さらには光秀と距離を置いた細川幽斎、筒井順慶、里村紹巴にいたるまで、光秀をとりまくさまざまな立場の人々にめいめいの視点から語らせている。
本能寺にもっとも早く突入した顛末を書き残したことで知られる惣右衛門も登場する。「本城惣右衛門覚書」は現代語化され、ほぼそのままの形で作中にとりいれられており、迫真性に改めて目を見張った。
本能寺焼討の前と後で視点が変わるのは、事を起こすまでは光秀の頭の中の出来事だが、いったん事を起こしてからは事態は光秀の手を離れ、光秀とその縁者をあらがいようもなく雪崩のように呑みこんでいったからだろう。
明智軍団は倍以上の秀吉軍に押しまくられながらもよく戦ったとされているが、本作でも捨て駒になるのを承知で郎党もろとも大軍に突入していく伊勢与三郎など、見せ場が多い。光秀はそれだけ部下に慕われていたわけである。
下の者はよく戦ったが、肝心の光秀は満足な下知がくだせなくなっていた。これは史実もそうで、信長も信忠も光秀の謀反と知ると水も漏らさぬ緻密な手配りがしてあるのだろうと早々に逃げることをあきらめてしまったが、実際は下京は封鎖しておらず、信長の弟の有楽斎など多くの者が落ちのびている。それどころか信忠のいた妙覚寺を本能寺と同時に襲えばよかったのに囲むことさえしておらず、むざむざ二条御所に逃げこまれてしまっている。かつての光秀とは思えない杜撰さである。
信長を討った後の対応も精彩を欠いている。諸説あるが、すくなくとも一万以上の軍勢がいたのだから、別動隊を派遣して瀬田の橋を確保しておけばよかったのに焼かれてしまい、安土占拠が三日遅れている。最低限のことはしているが、それだけなのである。
なぜ切れ者の光秀がこうも寝ぼけた対応しか出来なかったのか。
その問いは著者の考える本能寺の変の真相と直結している。
光秀がなぜ謀反を起こしたかについては野望説、怨恨説など光秀個人に原因ありとする説、四国説や山陰移封説のように織田家における光秀の地位の変化に原因を求める説、さらには朝廷説や義昭説、秀吉説のように別に黒幕がいたとする陰謀説までさまざまだが、著者は思いがけない新説を提起している。光秀認知症説である。
光秀は有職故実に通じ天覧の馬揃えをみごとに成功させるなど周到な気配で知られていたが、本能寺の直前にまかされていた家康供応役を途中で解任されている。上演する能の演目で何らかのトラブルがあったことは史料で確認できるし、軍記物の伝える話なのでどこまで信憑性があるかわからないが、腐臭を放つ魚を料理に出して信長から打擲されたなどという話まである。
著者はこうした失敗は認知症の症状でないかと推理している。なるほど認知症でもっとも多いアルツハイマー型認知症ではまず嗅覚が鈍くなり、記憶力と集中力に問題が出てくる。
本作の光秀はまさにアルツハイマー型の認知症で、側近の猪子兵助を常に身近にはべらせてどうにか面目をたもっているが、信長に呼ばれて直接指示を受ける場面では兵助をともなえないので、能の演目や部屋のしつらえの指示を忘れてしまうという失態を演じている。
光秀は認知症を起こすには若すぎるのではないかと考える人がいるかもしれないが、最も信憑性が高いとされている享年67歳説をとるなら、立派な認知症年齢である。陰謀説のファンとしては残念だが、光秀認知症説はかなり説得力があるのである。
光秀は認知症でしたで終わったのでは一種の偶像破壊にしかならないが、著者はその先を描こうとしている。認知症という病気も天の配剤ではないかという認識である。著者は敗走する光秀にこう述懐させている。
鈍くなった頭ながら――いや、鈍くなったからこそ気づいたのかもしれない――、ようやく自分が何と戦わねばならないのか、見えてきていた。それは、信長や猿など足許にもおよばぬ強大な敵だ。
十数年前におれを信長に引き合わせ、ここまで連れてきたもの。
上諏訪で、ほんの数歩の差でおれの声を信長に聞かせ、信長を怒り狂わせたもの。
この半年ほどで、おれの頭をおかしくさせたもの……。
天道だ。気まぐれな天道の仕業だ。
『光秀曜変』という表題はまさにこの天の配剤を意味している。
なお最近刊行された『とまどい本能寺の変』は本能寺の変に運命を狂わされてしまった人々を主人公とした連作短編集であり、本作を取り囲む位置にあるといえよう。本作と合わせて読むと、より奥行が深まってくる。