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『とまどい本能寺の変』 岩井三四二 (PHP)

とまどい本能寺の変

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 本能寺の変はもちろん謎だが、変の後に起こった出来事もよくわからないことが多い。

 毛利は一杯食わされて領土割譲を含む和議を結ばされたとわかったのに、なぜ秀吉軍を追撃しなかったのか?

 信長の三男の信孝は四国攻めのために明智軍をうわまわる軍勢を摂津に集めていたのに、なぜ弔い合戦をいどまなかったのか?

 関東で孤軍となった滝川一益は敵地となった上野・信濃・木曾をどのように突破したのか?

 安土に残っていた家臣たちはなぜあっさりと城を捨ててしまったのか?

 本書は安国寺恵瓊織田信孝、信長の側室のおなべの方など信長周辺のマイナーな人物を主人公とした連作短編集だが、こうした疑問に鮮やかに答えを出し、信長の死で生まれた巨大な空白を前に右往左往する人々をシニカルに描きだしている。

 歴史の脇役を主人公としているだけに、ありきたりの歴史小説では満足できなくなった人向けだが、本能寺の変前後の歴史が立体的に見えてきて実に面白い。

「南の山に雲が起これば」

 毛利家の外交僧、安国寺恵瓊が主人公である。

 秀吉との和議をやっとまとめ、酒を飲んで眠りこんでいたところ、本能寺の変の知らせが届く。恵瓊は独断で高松城清水宗治切腹させており、責任を問われかねなかった。

 評定では恵瓊は和議には曖昧な点が多々あり、これからの交渉で割譲地を減らせると説得し、秀吉に恩を売るために追撃はやめることになった。

 恵瓊は引きつづき秀吉側との交渉にあたることになる。三年後、毛利家の首脳が秀吉の元に拝謁するが、恵瓊は豊臣側の大名として毛利側と向かいあっていた。

「最後の忠臣」

 信長の三男織田信孝が主人公である。

 本能寺の変で信長と長男信忠が横死すると、三男信忠を擁立する動きが起こった。次男信雄はバカ殿と悪名高かったからである。

 だが秀吉の三法師擁立で信孝の夢はついえ、頼みとしていた柴田勝家も滅ぼされる。変からわずか一年後、信孝は尾張野間に蟄居させられ、信雄の命令という名目で切腹させられる。

 野間は源義朝が家臣の長田忠致にだまし討ちにされた地である。忠致は平家討伐にあたり、頼朝から「ミノオワリを与える」という言質をもらったが、実際にあたえられたのは「美濃尾張」ならぬ「身の終り」だった。信孝はその故事を踏まえて「むかしより主をうつみののまなればむくいをまてや羽柴筑前」という辞世を作る(昔から主を討つといわれる内海の野間。裏切り者の報いを待っていろよ、羽柴筑前守)。

 本作では信孝は人望がまったくない男として描かれている。本能寺の変後、一夜にして消えてしまった一万五千の軍勢にはじまり、家臣の逃亡があいつぎ、最後に残ったのはうだつのがらぬ六太夫だけだった。信孝は身の振り方を心配してやるが、思いがけない返事が返ってきた。信雄に召し抱えられることになっているというのだ。

「城を追われた殿に、最後まで付き従った忠義の心は見事であると、信雄さまに認められまして、それがしは才気浅く、戦場かせぎも苦手なれど、忠義の心ばかりは自慢でござる」

 この主ありてこの家臣ありという結末だが、信孝の同時代評価は高く、秀吉が急いで切腹させたことからいっても、この描き方は厳しすぎるのではないか。

「久々よ、怒れる武神、勝家を鎮めよ」

 信長の近習頭だった堀久太郎が主人公である(表題の「久々」は小姓時代の愛称)。

 久太郎は本能寺の変の直前、軍監として秀吉のもとに派遣されており、そのまま秀吉に臣従し、論功行賞では佐和山城と20万石をあたえられた上、三法師の守役に指名されている。山崎の合戦での手柄もあったが、織田家の近習頭という地位も影響していたろう。

 物語は北ノ庄城の攻城戦にはじまる。久太郎は秀吉にうとまれるのを承知で、勝家の助命をくりかえし懇願し、自分が使者に立ってもいいとまで申し出る。

 ついに秀吉も根負けし、久太郎はすでに占領されている天守閣の一段目にはいり、階上の勝家に呼びかけるが、勝家は念仏を唱える女たちを刺し殺し、自ら城に火をかけて切腹する。

 主家に殉じた勝家が「いっそううらやましく、いっそう憎くなった」という久太郎の述懐が哀しい。

「関東か小なすびか」

 織田家の宿老の一人だった滝川一益が主人公である。おそらく平山優『天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史』が種本だろうと思うが、読みくらべると歴史作家がどのように話を作るのかがわかる。

 一益は甲州征伐の主力であり、武田勝頼を天目山で討ちとっている。一益は上野一国と信濃の一部をあたえられ、関東全体を掌握する関東取次を命じられるという大変な出世をするが、本人は領地よりも「珠光の小茄子」という名物を所望したと伝えられており、本作の表題となっている。

 一益は本領である伊勢の兵を連れて上野国にはいり、上野と信濃の領主から人質を集めて関東の支配に乗りだしたが、その矢先本能寺の変が起こる。

 領国の支配が確立しないうちに信長という後ろ盾がなくなったのだから、五千の滝川軍は敵地に取り残されたに等しい。

 映画『清洲会議』の一益は忍者だった前歴を活かし、ただ一人山野を駆けて生還しているが、実際はそうではなく、手勢の生き残り三千とともに敵地を突破したのである。

 ここで決め手となったのが人質である。一益は人質を楯に信濃との国境に出ると、上野の国人の人質を解放した。信濃の国衆からとった人質は、木曾通行の安全と引き換えに、信濃に野心をもつ木曾義昌に引き渡している。えげつないが、これが戦国のならいだ。

 本作では一益は厩橋を立つ前に人質を解放するつもりだったしたが、北条を恐れる上野の国人の方から団結のために人質はそのままでいいと申し入れがあったことにし、国境で人質を解放する際には一益に丁重に頭を下げさせている。こう描かれると一益は一まわり大きな大将の器に見えてくる。

 信濃の人質を木曾義昌に引き渡した件も、人質の一人だった真田昌幸の母の提案にしている。「木曾どのに人質という通行賃を払うのよ。わしらも死ぬよりはええしな」というわけだ。

 さすが真田の母だと歴史の機微をのぞき見たような満足感があるが、もちろんフィクションである。

本能寺の変に黒幕はいたか」

 この章は小説ではなくエッセイである。著者は『光秀曜変』で光秀認知症説という本能寺の変の新たな解釈を打ちだしたが、その背景説明をおこなっている。

 光秀はアルツハイマー型の認知症ではなかったかというのが著者の説であるが、このエッセイで説得力がいよいよ増した。

 ちなみに62歳で没した秀吉はレビー小体型認知症の可能性があるという。

 光秀認知症説とは別に、朝廷陰謀説の傍証とされる近衛前久の怪しげな行動についてもふれているが、「坊ちゃん育ちの甘ちゃん」という見方は当たっていると思う。前久の不祥の子孫は先日の都知事選に担ぎ出されていたが、前久もあんないい格好しいだったのかもしれない。

「カタリナ・おかつの受難」

 安土セミナリヨの院長だったオルガンティノは明智軍の乱妨を恐れて信徒とともに琵琶湖の沖の島に避難するが、かえって湖賊のとりことなり、明智軍に助けだされている。明智側は高山右近を説得する書簡をオルガンティノに書かせた。日本語では明智に味方しろと書いたものの、ポルトガル語では絶対に明智につくなと書いたされている。

 このエピソードを信長の馬廻役の妻で、吉利支丹の女の視点から描いたのが本作である。伴天連の卑怯な振る舞いに棄教を決心するが、京や安土の日常生活が女目線で描かれていて興味深い。

「北方城の悲惨な戦い」

 西美濃三人衆の一人、安藤道足が主人公である。

 道足は稲葉一鉄、氏家卜全とともに斎藤龍興を見限り、信長のもとで数々の功績を上げたが、本能寺の変の二年前、佐久間信盛林秀貞の二家老とともに領地を没収されてしまう。

 本能寺の変後、道足は旧臣を集め、稲葉家のものになっていた北方城を奪還するが、倍以上の兵力をもつ稲葉勢が押しだしてくるとひとたまりもなくつぶされてしまう。稲葉側も代々親しくしてきた安藤家が相手だけに複雑である。

 信長という重しがなくなり、本作のような旧領回復の動きは各所であっただろう。権力の空白は新たな騒乱を呼ぶのだ。

「信長を送る」

 信長の側室おなべの方が主人公である。おなべの方は信長の子を三人産んだということで吉乃が亡くなった後は正室に準ずる扱いを受け、織田家の奥向きを差配していた。本能寺の変直後の安土の混乱を彼女の目から描いたのが本作である。

 信長から安土城を任されたと自負する彼女は籠城を主張するが、誰もとりあおうとしない。安土城は攻められることを想定しておらず、守れないというのだ。

 ようやく木村次郎左衛門という侍が名乗り出たが、手勢はわずか57人。

 木村が明智軍と一戦まじえようというには思惑があった。木村家は安土土着の領主で、今は山下町の奉行に任じられていた。安土から逃げたら木村家は浪人するほかはない。それなら忠義の者として名を残し、子孫に仕官の芽を残そうというわけだ。

 結局おなべの方も退去することになるが、それには彼女なりの名分があった。混乱する安土の描写はフィクションだろうが、決断は史実である。

 この作品が本書では一番読みごたえがあった。最後にもってきただけのことはある。

 本書は単独でも読めるが、『光秀曜変』をとりまくような構成になっており、あわせて読むと本能寺の変前後の社会が立体的に見えてくるだろう。

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