『俺に似たひと』平川克美(医学書院)
「親の介護・・・その意味は後から遅れてやってくる」
『俺に似たひと』。最初このタイトルを見た時は昔の歌謡曲のタイトルかと思った。
著者の平川克美さんはリナックスカフェの創始者で、『小商いのすすめ』など著作も多数。内田樹さんや小田嶋隆さんらとの親交も厚く、平成の文化人の一角を成すおひとりなのだが、その平川さんが昨年、医学書院の「かんかん!看護師のためのwebマガジン」というサイトに、父親の介護の模様を実況中継に近いくらいの鮮度で描いて評判になっていて、私も毎回の更新を楽しみにしていた。
あの3・11以降、誰もが国や社会の在り方についてヒステリックに語らねばならないような風潮がある。原発にしろ、東北や日本の復興にしろ、みんなで考えよう、絆が大事だというのである。インターネットでも異様なほどのハイテンションが続いている。そんな中で、親の看取りという極めて個人的な体験について、原発問題と同じくらいの比重と深度で語られている場所は新鮮であった。被災地支援から目を離してリフレッシュできた。
「これから記述していくのは彼の「過去」である。それは彼の息子である俺がいずれは遭遇し、同じように躓き、同じように困惑しながら、乗り越えたり打ちのめされたりする「未来」の光景でもあるだろう。父親の老いの光景は、俺の老いの光景でもあるということだ。 」
とにかく、平川さんの語り口がいい。介護の話が下町情緒に溶け込んで、じとじとしてない。あまりに巧くて何度も唸ってしまった。
親の介護で子と親の関係の逆転が起きる。それは悲しい体験なのだ。もっとも身近な「おとな」が老い衰え、やがて死ぬという生物学的現象を文章にするのであるから、何を描写し何を切り詰めるかというところに、物語る人のセンスが試される。父親の内面の「変化は、それが目に見えたときにはすでに終わっているのだ。桜の花が散るのは、変化の終了を告げるサインであって、爛漫と咲き誇っているときにすでに桜は少しずつ死をその胚珠に取り込んでいたのである。
変化は目に見えない。」
ただし、わからないことばかりでもなく、親の介護をしていると断片的に記憶の底にあった光景が浮き上がってくることがある。平川さんはその像を、ノスタルジーをどう処理したかというと、昭和の崩壊と父の崩壊とを二重映しに表現した。
「それは二〇〇六年をピークにして人口減少し始めた日本という国についても言えることだった。人口減少という目に見える状況になったときには、日本はすでに大きな変化を終了していたのである。しかし、多くの人はそのようには考えていないようであった。」
介護される父は衰退していく日本としても描かれる。親の介護を通して戦後日本に高度経済成長という栄華をもたらした世代の終焉を語ってしまった。これからこの国の面倒を見ることと親の介護には共通した一種の閉塞感を感じられておられたのだろう。今の日本を分析するかのように、認知力の低下を伴い衰えゆく父親の内面は容赦なく分析された。
「結局、父親を救ったのは死とせん妄であった。」と言う風に。
だが、「介護の一年半」についての否定的な感想はない。むしろ「外界のニュートラルな時間とは別の、さまざまな感情に支配された濃密な時間のなかにいたというべきなのかもしれない。」「そこで何が起きようが誰も振り向きもしないし、世界にはどんな影響も与えない。それでも世界はこういった小さな時間の堆積であるほかないのだ。」と静かに振り返る。
そして、繊細な介護を示す箇所が随所にある。
「未来がない。この生活には希望がない。そんな風に思うまいとしても、どうしても考えざるを得ない。食事と入浴以外に、楽しみも興味もなくなって、ただ繰り返すだけの生活というものに積極的な意味を見出すことは、誰にとっても容易なことではない。」
などと、ところどころで辛さを吐き出しながらも、
「7月15日(木)09:33 昨晩から煮込んだ野菜のスープとチーズ、葡萄パン&サラダで西欧風朝食、父親を風呂に入れて、ふたりでアイスクリームをなめる。」などとも呟く。
父親のために作る手料理がとにかく美味しそうなのである。なかなかこういうわけにはいかない。平川さんは本当に器用な人だと思う。愚痴っぽくないのでかえって行間を深読みしたりしてしまうのだが、この人の介護も語り口も、真似できるなどと思わない方がいい。
「これまでふたりだけで話をしたことなどほとんどなかった。」
「まさか母親が先に逝ってしまうなどとは考えていなかったのだろう。それは俺も同じであった。」
母親を介さなければ会話も成立しないのが、家父長制度が残っていた昭和の父と子だ。そのような家族の在り方も母親の他界によって激変。息子は実家への転居を決意し、父に急接近することになる。最初の頃は息子もけっこう元気である。テキパキと家事をこなしていく。がらくたの片づけをし、汚れものを洗濯し、前晩から料理を作り、風呂に入れ、食事の後には必ずデザートがついてくる。最初のうちはまだよかった。独りになった父に寄りそうだけの息子の役割であったから。だが、介護の内容も摘便や吸引、鼻からの経管栄養など次第に医療的にも高度になり、父の内面も不可逆的に変化していく。そして本格的な末期の世話ということになるが、「俺」は運命に抗うことはなく、看取りに向かっていく。
「俺が「いったいいくつまで生きるつもりなんだ」と少し意地の悪い聞き方をすると、「九十歳」と真顔で答えた。
いいことを聞いたと思った。入院のときは孫の結婚式が目標になった。今度は九十歳を目標にすればいい。あと五年じゃないか。
よく考えてみると、不思議な目標だった。目標の先にある六年目はどうすりゃいい?」
親子の間のこんな会話は決して珍しくないのだが、平川さんのくみ取ってきたエピソードを通して、読者は身近な高齢者の内面をいかに見過ごしてきたかに気づかされるのである。
そして、そういえば、面白いことにこの物語には女性の姿がちらりとも出てこない。そればかりか登場人物は二人。父と息子だけ。時おり通行人のように第三者の会話がところどころ入ってくるくらい。俳優が二人いれば上演できそうだ。介護の物語の多くは介護者の自分語りになってしまう。それで多くは「二人称」で語られるのだが、実際にはほかの家族やヘルパーさんなど多くの人びとが関わっている一大プロジェクトだけに、執筆となると勇気と配慮がけっこう必要で(それは違うなどとか言われるので)それなりに神経を使ってしまうのだ。だが、平川さんはそのあたりは最初にばっさりと、これは父の内面を探る「物語」であって、周囲を描くことではないと宣言して成功している。
男同士の物語であるから、妻も介護制度もあまり出てこない。だから、たとえ救急搬送が遅れたせいで認知レベルが低下したとしても、ヘルパーに経管栄養をしてもらえなかったとしても、制度が悪いと言う風には発展していかない。皮肉ではなくそっち方向に言いたいことは山ほどあったはずである。でもそこは意識的に描かれていない。愚痴っぽくなるからだろうか。それともそれは父の内面とは関係のない周辺の話であるからだからか。でも私などは親の介護をしてきた者としても、高齢者医療や介護制度に関するご意見をお聞きしてみたいなどと思ってしまう。重度障害者のALSの親の介護と、認知の仕方が後退する高齢者のそれでは、こんなにも違うものなのである。何が違うかを辿っていくと、また微妙なテーマ(尊厳とはなにか、とか)に突き当たりそうである。
「この単調な日々の繰り返しに何がしかの価値を認めていた。しかし、そのことの本当の意味が分かったのは、ずっと後になってからだった。意味はいつも、遅れてやってくる。」
介護とはそう、そういうものなのだ。
後から振り返ってみて初めてああそうであったのかと見えてくる景色や意味がある。親を背負って登ってきた道を振り返って見ることができるかどうかが勝負なのだ。親の介護に勝った負けたはないが、親がどのような終焉をむかえたとしても、子は決して後悔しないことが肝要なのだ。
読後の爽やかさに救われる。
なお、3月29日(木)にUSTREAM-TV「ラジオの街で逢いましょう」の平川さんを訪問。収録配信ということになっている。今からドキドキしている。