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『痕跡本のすすめ』古沢 和宏(太田出版)

痕跡本のすすめ

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「《書き込みあり》に魅力あり」

 【痕跡本 KONSEKI-BON】前の持ち主の痕跡が残された古本のこと。(本書の帯より)

 古本を買うと、たまに出会うことがある。

 私が出会った「痕跡本」で印象に残っているのは、十年ほど前に福岡の古書店からネットで購入した、1960年発行の印刷専門書だ。印刷に関する新聞記事の切り抜きと一緒に当時の注文短冊が挟まっていて、直方市のみやはら書店に小学校の○○先生が注文した本だとわかった。その先生が、おそらく仕事には関係ない印刷のことを熱心に勉強していたことが、40数年の時を越えて伝わってきた気がして、少し感動した。

 まあこんなことは稀だが、アンダーラインやメモが書き込まれた古本はよく見かける。これが鉛筆書きだったりすると、ほとんどは店頭に並ぶ前に消しゴムでゴシゴシと消されてしまい、微かな凹凸だけが残っていたりする。「書き込みあり」になるだけで、古書価がガクンと下がってしまうからだ。

 古沢和宏氏は、愛知県と岐阜県の境目にある犬山市で「古書 五っ葉文庫」という古書店を営んでいる方らしい。古書店主でありながら、売価を下げてしまう「痕跡」に魅せられ、それらを蒐めては売ることができずにいるという。「痕跡本」という言葉も古沢氏が考案したそうだ。

 本書で紹介されているのは、針のような物でズタズタに穴をあけられたホラーマンガ、見返し部分に「我ガ愛スル書」と書かれた文芸書、野望感満載の人生計画が書き込まれた起業本、等々、どれも前の持ち主の痕跡が色濃く残された本ばかりだ。

 たとえば創作ノート代りにされてしまった詩集がある。詩人の言葉にインスピレーションを受け、推敲過程もそのままに書き込まれた俳句の数々。

 しかし、最後のページを開くと……

これに限っては「この本の言葉」に頼って生まれたものではない、純粋な、この人ならではのむきだしのイメージのように思えました。(中略)作家へのリスペクトを超えた強い思いで書かれているような気がしてなりません。(p. 41)

 このように、古沢氏はその痕跡を次々と読み解いていく……のだが、中にはかなり妄想が入っているものもある。いや、妄想だらけと言ってもいい。

 古沢氏が紡ぎだす「前の持ち主の物語」が、まずあり得ないだろうというくらい突拍子もなくて面白いのだ。

 世界児童文学全集の一冊に挟まれていたカメラの保証書、そこに書き込まれた一編の短歌が、古沢氏の想像力に火をつける。

——お見合い結婚の私たち、はじめはぎこちなかった関係も、時が経つにつれ、だんだんわかり合えるようになってきました。結婚して3年目、私の誕生日に夫がプレゼントしてくれたもの、それはシックな革靴でした。今まではずっと宝石類やアクセサリーばかりだったのに、何故?(p. 89)

 そして妻を襲う突然の悲劇。すべて妄想である。世界児童文学全集の内容なんて、もうどうでもいいのである。

 もちろん突拍子もない妄想ばかりではない。

 太宰治の『津軽』の奥付ページに書かれた一言。「たいくつなりし本なれど……」これから読む人のために、後半を引くのはやめておこう。ポッと心が温まる痕跡だ。

 本書はこんな、新たな本の楽しみ方に気づかせてくれる指南書だ。とくに、古本は買うが新品同様の美本しか買ったことがない、という人にはお薦めの一冊である。

 欲を言えば、せっかくハードカバーなんだし、本のボリューム、紹介される痕跡本の冊数がこの倍くらいほしかった。もう少し続きが読みたくなった。とはいえ、内容は雑誌的な作りだから、これぐらいの分量がちょうどいいのかもしれない。

 ジャケット写真にある「“愛”は男を弱くするが 女は一段と強くなる」と書かれた栞についての妄想物語も、本文中にはなかったように思う。次回はこれもお願いしたい。まあこれは、読者(男子)それぞれが妄想すればいいのだろう。妄想じゃなくて実体験かもしれないが。

 古沢氏は、面白い痕跡本は、新しい本より古い本、昭和期に発行された本に多いという。その理由として、「某新古書店」が生まれ、テレビCMを含め大規模な展開を始めたころから、「本を売る」という価値観が一般に浸透し、汚さずに本を売り、綺麗な古本を買う、という循環が意識されたためではないかと書いている。

 たしかに、新しいもの、綺麗なもののみに価値を見いだし、古いもの、汚れたものはゴミ扱い、ということもしばしばだ。買う側にとっては安くてありがたいのだけれど。

 本書を読んで古本の新しい楽しみ方を知ってしまうと、「某新古書店」にあるような綺麗な新古書が、急に色あせて見えるかもしれない。

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