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『戦後腹ぺこ時代のシャッター音 岩波写真文庫再発見』赤瀬川原平(岩波書店)

『戦後腹ぺこ時代のシャッター音 岩波写真文庫再発見』

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「単純で切実で実直」

 学生のころはカメラをぶら下げて歩いては写真を撮り、現像と紙焼きまでしていたのに、いまではすっかり写真ばなれしてしまった。思えば、デジタルカメラがあたりまえになるにつれて、写真を撮ることも、またみることも少なくなった。いつもデジカメをかばんに入れて、こまめに撮りためている人をみるとマメだなあと感心するが、私はどうしてか、写真というのは光を定着させたネガから印画紙へとうつしとられたかたちのあるもの、という感覚が心にも身体にもこびりついているらしく、データとしての写真画像にあまりありがたみを感じられないのだ。

 いま映像に触れることは、赤瀬川原平風にいえば「空気感覚」なので、それも私の写真ばなれの一因であるだろう。今日、散歩の途中でまるで秘密の花園のようなすてきな庭園に足を踏み入れ、あたりの木々や草や地面の落ち葉や木の実やコケにみとれて陶然となり、携帯電話のカメラでそれらを写そうと思ったが結局やめた。そんなふうにしていたずらにデータをためこむより、自分の眼でみているほうが気持ちがいいような気がした。きれいな(きれいだからいいというわけではないのだが)植物の写真などちまたにありあまるほどあるのだし、それよりこの雑草はなんていう名前だったか、家に帰ったら植物図鑑で調べようとなどと考えた。

 思えば、せっかく現実の植物に触れているというのに、これまでみてきた、あるいみることのできるであろう頭のなかの映像をあれこれと検索していることじたい、情報の海に浸かっている証拠で、したがって肉眼でものをみるという私の体験の純度は低いのではないか。さらには、実体験の純度などとつべこべいうことじたいがすでに頭でっかちということになるのだろう。赤瀬川源平はいっている。人びとがごはんだけでなく、活字にも映像にも飢えていた時代があったのだと。

 「『岩波写真文庫』は,朝鮮戦争勃発直前の1950年6月にスタートし、『物語る写真』『眼でみる百科』などのスローガンをかかげて、8年半に286冊が刊行された。各冊ワンテーマで200枚前後の写真を詰め込んだこのシリーズは。いまや50年代画像の宝庫と位置づけられる。」

 岩波書店のHPにあった、この秋、赤瀬川源平の選によって復刻された「岩波写真文庫」の解説である。いまとなっては五十年代の画像の資料であるこれら文庫の写真たちは、当時の写真映像に飢えた人びとにとって、生きた情報の貴重な源だったのだろう。写真というメディアと人びとの写真への欲求が、いまとくらべてとてもシンプルなかたちで折り合っていたのだ。赤瀬川原平はそんな時代の写真をめくりながら、写真画像から腹ぺこだった少年時代の暮らしのさまざまを思いおこす。

 たとえばアメリカ人の生活を捉えた『アメリカ』(1950年刊)では、毎朝配達された朝日新聞の漫画『ブロンディ』で、ストーリーよりもそこに描かれた電気製品や自動車や大きな家に目を奪われていたこと。電化製品と電気のイロハを解説する『家庭の電気-実際知識-』(1956年刊)では、ラジオの雑音をなんとか消そうと、叩いたり、横向けにしたり、裏側の機械の部分を感電しはしないかと恐れながら触っては、野球の中継をきいていたこと。靴を履いた足のレントゲン写真で理にかなった履き物を解析する『はきもの』(1954年刊)では、中高生のころは下駄履きで、はじめて買った靴は窮屈で結局履かなかったこと。

 捕鯨船が英雄視され、排気ガスのかわりに道ばたには馬糞が転がり、たいていの人のお腹のなかには蛔虫が棲んでいた時代。写真映像とそれへの人びとの欲求がそうだったように、世の中のあらゆるものごとと人との関係がいまよりずっと単純で切実で実直だったその時代の空気に触れ、当時を懐かしむ一方で、ものごとが複雑でみえにくくなっているいまを省みる。

 「この時代にまだ『自由』は遠く輝いていた。でもその『自由』が思わぬ方向にねじれていくというマイナスの未来は、まだ想像されてもいない。」

 「…馬が、この本の出た時代にはまだ日常の町のあちこちにいたのだ。馬糞を落として、よだれを垂らして、汚いけれど、それしそいうものだと思われていた。仮にいま、自動車が全部馬と荷車に変ったら、人々の気持ちもまるで生き返るのではないかと、夢想する。」

 「いまの世の中は頭脳社会となって、各論的に進化はするが、総論が見失われて、すなわち肉体が失われている。でも結局は人間として、人体として生きているのだから、世の中はいずれ見失った肉体を求めて、極言すれば蛔虫的環境を探し求めてゆくのではないか。」

 赤瀬川原平というとすっかり「老人力」の人だけれど、その彼の表現のからくりのもとのもとには、前衛芸術家出身から紆余曲折を経てトマソンの発見という経緯があり、あれは思えば、複雑でみえにくくなったゲイジュツなるものの核の核の部分を丹念にほぐして明るみにだそうするなかでの瓢箪から駒的な仕業であった。しかしこの「岩波写真文庫」の写真たちは、そういう作業をする余地がないので、カメラ好きとしても知られ、写真にまつわる著作の多い彼も、ただそこに閉じこめられた単純で切実で実直だった人びとの暮らしの空気を吸い込み、そのころを思い出すばかりなのであった。いたるところで彼は、当時とひきくらべていまの状況を寂しい、と書いているのが、なんだか寂しい。

「この時代の写真はもちろんモノクロが普通で、カラーなんてとんでもなかった。素人でも写真をやるとなると、暗室を作って、自分で現像焼付をやる人が多かったはずだ。この暗室作業というのがなかなか神秘的なもので、面倒ではあるけど、それがまた写真の価値を高めていた。いろいろ面倒な苦労と失敗を乗り越えて、神秘を潜り抜けて、やっとあらわれる写真は、いまの論理でいう映像とはちょっと違う。写真はいまよりもっと無骨で強い力をはらんでいたように思う。」

 便利さと快適さが極まるにつれて、あらゆるものごとが複雑でみえにくくなり、だからありがたみもなくなる。私の写真ばなれもまさにそういうことなのだった。

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