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『草かざり』かわしまよう子(ポプラ社)

草かざり

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 使いおわったマヨネーズの容器を洗うとき思い出すのは、ほんの子どもの頃、夏、近所の友達の家の庭にひろげたビニールプールでの水遊びだ。うす黄色い中身の詰まっているときにはわからない、ぺかぺかとしたプラスチックの質感。その中にいっぱいに入れた水をお互いにひっかけあうのである。


 「半透明の透け具合を大切にしたかったので、イヌホオズキはあえて浅く飾りました。」

 とは、本書の袖にあったカバー写真の説明。そうそう、この半透明の感じは、マヨネーズの容器でしかお目にかかれないものなのだ。

 いけばなの写真とエッセイで構成された本書。ふつうなら、ポイと捨てられてしまいそうな器にいけられた、野に咲く草花たちの写真がつづく。ミニトマトのパックにアレチノギクが、ウーロン茶のペットボトルにミズヒキが、魚のかたちをした醤油入れシロツメクサが、ヨーグルトの容器にはドクダミが。

 吹けば飛んでしまいそうな器と野の草との組み合わせは一見はかなげ。しかし、道ばたなどで摘んだ雑草は意外と強いもので、栄養たっぷりに育てられ隆々としてみえる花屋の花より、よほど日持ちがする。そのねばり強い生命力を思うと、花器とされている小さなプラスチック容器も、なかなかにしぶとい存在なのだと気がつく。

 分別され、リサイクルされるこのものたちだが、そのへんに打ち捨てられたのなら、自然に還ることもなくいつまでもその姿を晒しつづける。本書に連なる容器と草花との出会いはこんなに可愛らしいのに、これらの写真を眺めていると、頭のすみに浮かんでくるのは、河原や道ばたの草むらにポイ捨てにされた空き缶やペットボトルの、ひしゃげて、周囲の雑草に埋まっている姿なのだ。

捨てられそうなものの価値観をリメイクするのはおもしろい

 子どものころ読んだ本で、ひまわりの花をサイダーのあきびんにいけるというシーンがあり、話の筋はまったくおぼえていないのだが、そこだけは忘れられずにいる。そして、そのとりあわせから、真夏の暑い暑い午後のイメージが連想され、つづいてあらわれるのは戦争である。焼け野原で、人が一杯の水を飲むのに使ったのは、変形したあきびんや、潰れかかった何かの容器だったろうと、本書の頁をめくっていたら、そんなことを思った。

 ものを、本来の用途とはちがう使い方をすること。私たちは、そうせざるを得ない状況からはずいぶん遠いところにいる。価値観のリメイクは、リサイクルやリユースよりも難しそうだ。それを肝に銘じつつ、捨てられてしまいそうなものに、私もひとつ、野に咲く草花をいけてみようと思った。


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