『駱駝はまだ眠っている』砂岸あろ(かもがわ出版)
七〇年代のはじめの京都。ヒロインは、烏丸今出川にある喫茶店・駱駝館の娘、森下ろまん、十四歳。
ろまんの母親がそれまでの仕事を辞め、娘とふたり、山科の実家を離れて喫茶店をはじめたのは、ろまんが学校へ行きたくない、と言い出したためであった。母曰く「これからはずっと、一緒にいるからね」。娘にしてみれば、勉強がおもしろくなく、集団生活もだるく、ただひとりでいたいだけなのだ。「都さんは、何か勘違いをしている」とろまんは思う。駱駝館開店以来、店の人たちと同じように、ろまんは母親を都さん、と呼ぶようになった。
ライブや演劇、詩の朗読会などのポスターが貼られた、エスニック調のインテリアの店内には、ラクダのぬいぐるみがふたつ飾ってある。「駱駝館」という店名は、このぬいぐるみにちなんでろまんが考えたものだ。なにかとアバウトな厨房担当のビルボさん、ウエイトレスのマーヤさんはシンガーで、チーフのヒロシさんは小説を書いている。いつもカウンターの端っこで居眠りをしている大学院生のモクさん、写真を撮っているレノンさん、そのほか、演劇青年やマンガ家、作家の卵などが集い、ライブや映画の上映会やバザーなど、月にいちどはイベントを開いている。
七〇年代に文化発信の拠点とされた京都の喫茶店といえば出町柳のほんやら洞が有名。この物語じたいはフィクションだが、駱駝館も七十四年から七十九年のあいだに実在した店で、著者はそこでアルバイトをしていたのだという。出会いの場として、自分の居場所として、青春時代のいっとき親しんだこのような店を懐かしく思い出す人はおおいだろう。
そんななか、夢を追って生きようとする若者たちに対して否定的なのは、都さんの恋人らしき男性・ゴローさんである。駱駝館のような店は通過点、いつまでもいるところではないと、小説家をめざすヒロシさんもつぶやく。学生運動が終息しつつあるなか、夢と理想を追いつづけているだけではいられないという思いは、駱駝館周辺の人たちのあいだにじんわりとひろがっている。じっさい、新たな生活に向けて駱駝館を去ってゆく人もいる。
学校嫌いで、クラスでも孤立しがちなろまんは、それぞれの夢を抱えて駱駝館に出入りする人々のなかで、自分は何になれるのかと模索する。マンガ雑誌に投稿したり、詩を書いて小さな詩集を作ったり、映画館に通い詰めたり、アングラ芝居に衝撃を受けたり。これまで知ることのなかった大人の世界、すでに何かをみつけて先を歩む友だち、そして恋。十四歳から十六歳の少女の成長が描かれる。
ところで、時代は変わっても、飲食店としてのサービスを提供するだけでなく、イベント等によって人と人とのつながりの場として機能している喫茶店や飲み屋がおおいのが京都という町だと思う。学生や若い人が集まり、また町の規模も小さいので、ほかの都市よりもそうした環境が生まれやすいのだ。駱駝館がかつてあり、今もほんやら洞のある同志社大学周辺から、京都大学のある百万遍のあたりを知る人であれば、物語のなかの駱駝館とその周辺に漂うムードには思い当たるものがあるだろう。京都という町は、いつまでも夢を追いながら暮らしつづけるには、過ごしやすい町なのである。それは、古い社寺や伝統ののこる観光都市とはべつの、京都という町のもうひとつの姿だろう。