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『ふたすじ道・馬 他三編』長谷川如是閑(岩波文庫)

ふたすじ道・馬 他三編

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 明治二九年、二十一歳の如是閑が初めて書いたという小説「ふたすじ道」をはじめ、「お猿の番人になるまで」「馬」「象やの粂さん」「叔母さん」の五編を収録。


 スリの少年、元軍人、露天商の男など、市井の人々を描いた四編とは異なり、最後の「叔母さん」だけが、自らの幼年時代を綴った自伝的な文章である。


 〈私〉と叔母さんはいつも一緒、離ればなれになるのは叔母さんが「便所へ行く時だけ」なので、母親は〈私〉を「叔母さん所の子」と呼ぶほどである。


 叔母さんは、結婚適齢期、とでもいった年頃だろうか、アンニュイで、どこか虚無的なところのある女性である。薄暗い廊下の先の離れにある叔母さんの部屋には、〈私〉には理解しがたい色々なものが並べてあって、それをあれこれといじくりまわしては、

 「Mちゃん、これ好いでしょう」

 と、私に云いました。けれども、叔母さんは、そうして骨を折って排列した自分の座敷の光景【ありさま】を、その時だけでも眺めでもするかというと、そうでなく、そうした複雑な排列を済ますと、スグと私を、自分の膝の上に乗せて、接吻【キッス】をして、さも忌やな仕事に疲れたような嘆息をつきます。

 父は「自分勝手にことばかり云って、怒ったり笑ったりしている、ただの男の人」、母は「弱々しい、臆病な、親切な女の人」。両親に馴染むことのない〈私〉が、父や母と顔を合わせるのは食事のときくらいである。

 そんな幼い〈私〉にとって、叔母さんの部屋で過ごす時間が生活のすべてといってもいいほど、ふたりは密着している。この時の〈私〉はまだ少年と呼ぶにも早い歳だったろうが、叔母さんの溺愛を一身に浴びているときの以下のような表現はじつに生々しい。

 叔母さんは髪を結わなかったのか、或るいはそういう風の髪に結っていたのか、何時も、私に接吻【キッス】する時に、房々とした毛が、私の額にかぶさって、私の眼に入りそうなので、私は片手で、叔母さんの頸筋に抱きつきながら片手で叔母さんの額から下がる髪の毛を抑え抑えしました。真白な顔と、黒い眉毛と、笑っているようですが少し怖い大きい眼とは、私の顔に掩い被ぶさって、まるで何処からか、私の上に落ちかかって来て、私の小さい掌に抑えられた、不思議な宝のように、私に思われました。

 このふたりを結びつけているものは、叔母さんの「美しさ」であった。たとえば、叔母さんの所にたまに遊びに来る友人の「谷の姉さん」は、誰もが認める美女で、その人のことも〈私〉は「綺麗だ」と思うが、〈私〉の求める「美」とはほかでもない、叔母さんの「美」なのである。

 この「叔母さんの綺麗さ」は外の人の「綺麗さ」がこれを凌駕することは出来たかも知れませんが、これを代理することは出来ませんでした。


 が、それは「綺麗さ」ということを離れて成り立たない心情【こころもち】である点に於て、私の小さい美意識の要求でした。私の叔母さんに対する最初の知覚は、ただ彼女の美しさであったのです。叔母さんも、私に第一に知覚させたかったのは、自分の美しさであったのに相違ありません。

 〈私〉が生まれた時に、すでにこの叔母さんは〈私〉の目の前にいて、物心つくより前に、まず〈私〉はこの叔母さんの美しさを感知して、「美」というものを知ったのである。そして叔母さんも、「〈私〉の小さい意識」に、自分の美しさを映そうと意識していたというのである。

 この叔母さんはまもなく〈私〉の前から消えるのだが、その理由は、叔母さん自身が書いた手紙によって明かにされる。それは、先述の「谷の姉さん」に宛てたもので、この美貌の友人の、複数の男に求婚されて困っているという相談に答えるかたちで書かれたものだ。

 「私が貴女のことを、Mちゃんに「谷の姉さんは綺麗だこと」っていうと、Mちゃんはきっと「叔母さんのほうが綺麗だ」といいます。なぜMちゃんは、あべこべのことを主張しているのでしょう、誰れだって貴方より私の方が綺麗だというものはありませんのに。


 ……


 「ですけれど、これはMちゃんの見方が、お嫁を探している男の人たちの見方と違っているからです。そうした貴女の美しさは、お嫁を探している男の人達の条件を充たしているし、私の美しさはMちゃんの要求している条件を充たしているのです。


 ……


 「それで、貴方が、多くの男の方達から、結婚の申し込みを受けるのは、貴方が、女という種族の採点標準に十分に適っている百点の婦人だからです。


 ……


 「私のは、少しそれと違います。他の人の定めた美しさでなく、私自身の美しさです。いんえ、ただ私自身なのです。其処へ出た私自身を、人が美しいと云っているばかりです。私は「女の美しいの」ではありません。「私の美しいの」です。


 ……


 「谷の姉さん。私のことを御心配下さいますな。私にはMちゃんがあります。私は「美しい女」を求めないで「美しい私」を求めているMちゃんと二人切りで、私というものがここに在るのが無駄でなかったと感じています。


 ……

 自伝的な物語といっても、この叔母さんの手紙は創作である。「女の美しさ」ではなく「私の美しさ」を自負する叔母さんの〝新しさ〟は、この文章の書かれた1918年当時の女性のものだろう。1875年生まれの如是閑の幼少時が明治10年代だとすると、この叔母さんは当時としては進みすぎている気がする(とはいえ、叔母さんが加齢を怖れているところをみると、その新しさはいまひとつといわねばならない)。

 それはともかく、自伝的文章と呼ばれるこの物語も、他の四編同様、ある存在を強く求め、それが叶わないことへの苦しみが描かれている点では同じである。

 たとえば「馬」は、傍目にも異様にうつるほど軍馬の「アカツキ」に惚れ込んでいた失職軍人が、時を経て、曲馬団でその〈アカツキ〉と再会して逆上してしまうという話だし、「象やの粂さん」の粂さんは、全国を巡業してまわる道中で命を落とした象の〈善八〉を思うと、身も世もなく号泣してしまう。

 また、「叔母さん」同様、「ふたすじ道」と「お猿の番人になるまで」は、姉か母のように慕う女性と引き裂かれる運命にある少年が描かれている。

 五編の物語の主人公はみな孤独である。〈私〉が幼いうちは、叔母さんは〈私〉だけのヴィーナスだったし、ふたりは蜜月を過ごせたが、叔母さんは、ふたりの関係が壊れることを恐れて、自分から先回りしてそれを絶ってしまう。

 飯田泰三氏の解説によると、如是閑が生涯独身を貫き、「集団実践活動への「参加」を拒み、「ひとりもの」としての認識者・批判者の位置にとどまりつづけようとした」のは、如是閑が早くから抱えていた「「よそもの」意識」「環境への疎外感」によるものとされている。「叔母さん」のモデルは、如是閑の自叙伝によっても同定できず、このエピソードが実話かどうかもわからないが、これにあたいするような幼い頃の経験が、彼が生涯持ち続けた拭いがたい疎外感のもとになっているのだろう。


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