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『痕跡本のすすめ』古沢和宏(太田出版)

痕跡本のすすめ

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 古書店の店先に、買い取られてきたばかりらしい、整理もされてないまま紐で括られた、「古本」という商品になる以前の物体が無造作に置かれてあるのをみると、虫食いの葉っぱがそのままだったり、まだ泥がついたままだったりする採れたての野菜を思い出し、喉の奥がむうー、と鳴ってしまう。そう、この本は、ちょっとくらい汚れてたって平気平気、食べても死にやしないよ、という方になら楽しめそうな一冊といえよう。


 当たり前のことのようですが、全ての古本には、前の持ち主が存在します。


 本が古本屋さんに並ぶ前、その本は必ず、誰かの本棚ににあったものです。そして、様々な理由で持ち主の手を離れ、古本屋へ流れ着くことになりました。


 それはたとえば、傷やよごれのない、一見新品にしか見えないような古本でも同じことで、そこには前の持ち主がそれを買った理由があり、そして手放した経緯が存在する……。


 そう、すべての古本には、前の持ち主がその本と過ごした時間という「物語」が刻まれているのです。


 それが目に見える形で残されているもの、それが痕跡本。


 そこには、本の内容だけじゃない、前の持ち主と本を巡る、世界でたったひとつだけの物語が刻まれています。

 本来なら「難あり」としてその商品価値を下げてしまうはずの古本の線引き、書き込み、挟み込み、傷、シミ、破れ。それらに価値を見いださんと、古書店店主である著者が〝痕跡本〟を紹介、そこに刻まれている物語を読み解いてゆく。

 前の持ち主のした線引きが、はじめは煩わしかったのにしだいにおもしろくなってきて、いつのまにか本来の読み方からはずれてしまういうような経験は私にもある。が、〝痕跡本〟においては、はじめから本そのものではなく、かつての持ち主への読みが優先される。

 たとえば冒頭に登場するのは、日野日出志のホラーマンガ。無数の針穴が、カバーの上からぶすりぶすりと本文用紙にまで達しているというとてもこわい一冊。経年のヤケやシミによってその猟奇性はいよいよつのり、著者曰くそれは「言葉では表現しきれない心の衝動を行動で示した、いわば、生傷の読書感想文」。

 あるいは、世界中の著名人によるラブレターのアンソロジー。奥付の前の白紙のページに「ひなまつりの日に 56 3/3」の但し書きとともに書き込まれているのは、「うれしいひなまつり」の歌詞。「この人にとって、ひなまつりとは、この本がもたらした余韻と相乗効果があるような、そんな特別な日だったのではないか、なんて思うのです。」

 あるいは、全体が枯葉色に変色し、手に取れば本をくるむパラフィンがほろほろと崩れ落ちそうに痛んだ岩波文庫エンゲルス『空想から科学へ』。本文は線引きと書き込みの嵐で、その「気になったポイントにはがんがん攻め込むアグレッシヴな知識欲」、「がむしゃらな勉強ぶり、読書ぶり」に、もはや本そのものの内容に関係なく、手に取ると高揚感がもたらされるという一冊。なぜならそれは、「前の持ち主の読書の興奮が消えることなくこの本に宿」り、「存在そのものが読書の記憶の痕跡」なのだ。

 記しをつける、メモをとる、切り抜きをはさむといった行為が、コンピュータや携帯電話によってなされることが増えたいまだからこその、〝痕跡本〟という括りなのだろうと思う。ただ読むだけでない、さまざまな使い方とつきあい方は、本が本というかたちだからこそできること。ああ、本ってつくづく実用品。それでわかった。他のものはがまんしても、私が本を買うことにはためらいがない訳が。

 また、ページを折ったり、書き込みや線引きをしたりすることにもあまり抵抗のない私は、ますます本を実用していこう!という気持ちを新たにした。だけど、自分の痕跡が人様の目に触れることについては想像したくない。


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