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『True Prep―オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』リサ・バーンバック、チップ・キッド 篠儀直子・訳 山崎まどか・日本版監修 Pヴァイン・ブックス

True Prep―オフィシャル・プレッピー・ハンドブック

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 アイビー・リーグに属する名門大学入学を目指す、良家の子女たちが通う私立高校「プレップ・スクール」。その、プレップ・スクール出身者、伝統的かつ格式の高いお家柄の人びと「プレッピー」の生態をつぶさに、そして諧謔をこめて綴り、80年代にベストセラーとなった『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』。本書はその2010年代版である。


 ところで今年は、プレッピーな着こなしが大流行しているとか。

 80年代はじめ、日本で元版『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』の翻訳(新潮社、宮原憲治訳、81年)が出た当時、小学生だった私のおぼろげな記憶によれば、プレッピーというのは、ポロシャツの衿が立っていて、素足にモカシンシューズをはき、デイパックを肩からさげた都心の私立大学生、自分より十くらい年長のお兄さん・お姉さんのもの、というイメージ。

 でも、そう、思えば高校生のころ、制服のスカートを規定よりすこし短めの「膝小僧がみえるかみえないか」くらいの丈になおし、足元はスニーカー(というより、運動靴といったほうがいいような代物)ではなくて、ローファー、というのが流行っていて、当時のあの〝お嬢様ブーム〟はある種、日本版プレッピー的なものへの憧れ(つまり、東京近県のふつうの公立高校生が、都心の名門私立女子高生に憧れるという)からくるものだったかもしれない。セレブなる語をまだ知るよしもない私の住む神奈川県某市では、いまだヤンキーカルチャーが健在だったが、スカートを長くしたり、髪を染めたり、パーマをかけたりといった校則違反などとんでもないこと(スカート丈をつめるのも実は違反なのだが)だと、クラスメイトたちはみなしていた。

 いま、60年代風アイビー・ルックでキメていたら、コスプレと勘違いされそうだが、そうはならず、いまなおおしゃれとして成立するのがプレッピーか。適度な応用、適度な着崩し、そんな、基本からのちょっとした逸脱がこのファッションの要であろうから。そしてその、「ハズし」具合や「こなれ」加減は、単に見た目だけでははかることのできないコードによってさだめられている。プレッピーの装いは、彼らの生活にまつわるあらゆるルールとは切り離せないということで、それを懇切丁寧に解説したのが80年代版『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』(90年代にはどこにでも転がっている本だったけど、いま、アマゾンのマーケットプレイスでとんでもない値がついていて、びっくり)である。その訳者あとがきにはこうある。

 「プレッピー社会が磨きあげてきた節度ある着こなし感覚こそプレップなもののすべてなのです。」

 そして、

 「編集のリサ・バーンバックさんが冒頭でもいっているように、誰もがプレッピーになれます。日本列島からローカスト・ヴァレーに引越したり、フィリップス・エグゼターに転校するのは無理としても、タルボットのカタログを取り寄せて、質の高いウエアを手に入れることができます」

 さらには、

 「プレッピーの世界にファッションから入ることは決して間違ったやりかたではありません」

 2010年版である本書の日本語版監修者・山崎まどか氏のあとがきにも、そもそも「ジョーク・ブック」として書かれた80年代版が、日本でアイビー・ファンたちにバイブルのように読まれたことは、「訳者たちの苦笑を呼ぶもの」だったとあるが、この読み違え、なんて80年代的!!! 笑えるというよりは、むしろのどかでうらやましい。

 最初の『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』が書かれたのは、アイビー・ルックを受け継ぐファッションとしてのプレッピーの流行があったからだろう。自分たちのスタイルが真似されることで、プレッピーたちは、それまではとりたてていうほどのものではなかったこと、ごく当然のこととして受け止めていた自らのありようをあらためて――本書にたびたび引かれるイーディス・ウォートンの作品のように、文学的な主題としてではなく――対象化した。

 では、それから30余年を経た、2010年版はどうか。

 ボストン・ラテン・スクール【引用註・プレップスクールの元祖ともいうべき、北米で最古といわれる学校】が設立された1635年以来、この世界はほとんど変わっていないとわたしたちは以前言ったけど、もちろんそれはちょっと大げさだった。世界の動きがどんどん速くなり、天然資源の消費量もどんどん多くなり、科学者たちは砂糖の代用品をどんどん発見しているのだから、わたしたちのきれいで安全な小世界に21世紀の生活がどう影響するか、わたしたちも考えなきゃならない。

 30年という時代の流れに影響を受けない人間などありえず、プレッピーたちもまた例外ではないのだが、自分たちの認識が「間違っていた」のではなくて、「ちょっと大げさだった」というところが、たまらなくプレップである。彼らは、

 かつてはWASP。そうでなくなってからも、少なくとも白人のヘテロセクシャルでした。ところがある時わたしたちは、好奇心から、あるいは退屈から枝分かれして、あっというまにごちゃ混ぜになったのです。

 「ごちゃ混ぜ」になったのは、あくまでも自分たちの「好奇心」や「退屈」のせいであって、「わたしたちのきれいで安全な小世界」の外部にはないのだと言い張るところもまた、なんともプレップ。

 というわけで。

 ・お父さん(ちょい悪な)の「ガールフレンド」のいくつかのタイプ

 ・人種のちがう子どもを養子にむかえることはもはや珍しくなくなった

 ・「ゲイとレズビアンのプレップ・アメリカ・マップ」

 ・プレップの殿堂にオバマ夫妻の名前が登場

 ・(プレップな奧さんでいるには飽きたらず)突如として「室内装飾家→不動産ブローカー→美術館ガイド→ヨガ講師」というキャリアを積む「ママ」

 ・プレッピーのスキャンダル、その種類と対処法など

 ・「ゴシップガール」のプロデューサーへ一言

 ・「天然素材を着ることが、自分たちの権利でありトレードマークである」と考えてきた彼らがこぞって「フリース」を着るようになった

 ・「Facebookはすべての人に開かれすぎだと感じて」いるプレッピーたちのための「招待制のみのサイト」ができた

 ……等々、この30年にもたらされた新たなプレッピーたちの生態が目白押し。情報量も、面白さも、ディテールも、80年代版をはるかにしのぐ、大満足の読み応えである。

 ところで、彼らをめぐる状況が、いかに様変わりしたかを何よりも示すのは、本書が80年代版のようにファッション・バイブルとして読み違えられる可能性は薄そう、ということではないか。ウィットの効き方が、前者にくらべるとパワーダウンしたのは、そのぶんだけ、「わたしたちのきれいで安全な小世界」への外圧に屈しないという、プレッピーの確固たる矜持が、ほんのすこし出過ぎたせいかもしれない。『TRUE PREP』という原題も、ユーモア、というよりは、日本語でいうところの「ネタっぽさ」のほうがまさっている気がするのだ。


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