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『Constantinople : The Last Great Siege, 1453 』Crowley, Roger(Faber and Faber)

Constantinople : The Last Great Siege, 1453

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一昨年だったかピカデリーのRoyal Academy of Artsで行われた「トルコ展」に出かけた。RAAは内容の濃いオリジナルカタログを作る美術館で特別展はどれも質が高いが、このトルコ展もモンゴル経由の中国文化、東アジアの文化、アラブイスラムをそれぞれそのまま受け入れたようなトルコ文化の多彩さに驚かされる優れた内容であった。ジェンティーレ・ベリーニの描いた征服王メフメト2世の有名な肖像画が入り口を飾っていた。ベリーニ兄が弟ジョヴァンニの代わりにオスマントルコへの特別派遣史として送られ、イスラム法ではもっての外であるスルタンの肖像画を書き終え任務を終えたあと、ヴェネチアで熱狂的に迎えられたことをヴァザーリを通じて知っていた者にとって、それは意外なほど静かな優しい絵であった。

トルコは不思議な国である。宗教はイスラムだが共和制で宗教を建国の理由としていない点、他のイスラム国と大きく異なる。皮肉なことにトルコ人が倒したビザンチン帝国こそは世界史上初めての「キリスト教帝国」である。「西」である筈のギリシャギリシャ文字を使い、「東」であるトルコがラテン文字を使う。

そんなこともあってビザンチンについてのイメージを思い描きにくい。有名なものでもパレルモやモンレアレ、ヴェネチアのサンマルコでモザイクをみた程度。1453年のコンスタンティンノープル陥落が西洋文明史における大トピックであるにもかかわらず。そしてこの時代のヨーロッパの国境俯瞰図にみられる滅亡寸前の帝国の姿が興味深いにもかかわらず。それが本書を手に取った理由で、前段は開戦以前の成り行きの小説仕立てで大シスマから帝国滅亡までの見取り図を描いておりとても面白く読めた。逆に本書にとっては肝心の部分にあたる筈の聖都攻防戦の描写は筆力弱く楽しめなかったのは戦闘場面に興味がないこちらの性向のせいでもあろうか。

征服王メフメトはコンスタンティンノープル陥落翌日の5月30日(私の誕生日)にハギアソフィアのモスクへの転用を指示していたというし、それもただキリストのモザイクを白く塗りこめ、ミナレットを加えただけで他には何も手をつけなかったという(「イスラム美術」、ジョナサン・ブルーム&シーラ・ブレア、岩波書店)プラグマティックな人物だ。オスマントルコは西側の思い込みよりもずっと現実的な治世であって、当時伝えられたキリスト教徒への迫害譚の多くは十字軍的誇張であり、実際安い租税を求めて自ら編入を望むキリスト教の町さえあるほどだった。コンスタンティンノープル陥落後、町を訪れたドイツの聖職者はカソリック典礼イスタンブールで行われるのを目の当たりにして驚愕した記録を残している。オスマントルコは父親の血統しか認めない。メフメト2世もセルビア人女奴隷の子供と言われている。世襲制に明確な世継のルールがないから父王の死後は息子同士の殺し合いも多く行われた。メフメト自身長兄を暗殺している。

教科書の影響だろうか。日本人は帝国というイメージが好きだ。東西ローマ帝国神聖ローマ帝国、そんな言葉を歴史の授業で覚えさせられた。中世までは地図に国境線を引くような領土の概念は希薄で、帝国は都市国家の寄せ集めであって、帰属意識は極めて低かった。しかし斜陽のビザンチン帝国はペレポネソス半島とコンスタンティノープルに領土を残すだけであったとしても、民衆にとっては神に守られた「帝国」であった。戦記ものはいつも読者を一方の贔屓に傾かせる。聖都は周囲をオスマントルコに包囲された完全な飛び地であり存続したのが不思議な程だが、この時代の海運の重要さがこの町に延命を許す。ヴェネチアジェノヴァにとっては東方との取引上便利な拠点であり、物資が行き交いこの飛び地は潤った。その一方、民衆は宗教国家の妄信を以って、町が神に庇護されていると信じ、トルコの現実的な脅威を忘却し続けた。

(林 茂)


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