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『Bestiary』Barber, Richard(TRN)(Boydell & Brewer)

Bestiary

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「ベスティアリ」は13世紀に流行した動物譚のひとつ。イギリスで書かれた。著書の目的は自然科学の探求では毛頭ない。創造主が創りあげた自然の姿を通じて、原罪から逃れられない人間という存在を、神の体系内部へ誘うというもの。善性と悪性が極端に矛盾した形で描かれ、説話は全て神の摂理への回帰に終始する。「さまざまな種類の動物を描いているが、それは単に倫理的教訓やキリスト教的教訓を指摘するためだけにすぎない」(中世動物譚、P.A.ロビン)。

その中からー狩を禁止する法律も昨年出来たことだしー狐についてのエントリーをみてみよう。「イギリス人と見れば狐は逃げ出す(奇怪動物百科、ジョン・アシュトン)と言われるくらい、古来よりイギリス人は狐狩りに熱中してきた。他のヨーロッパ諸国では狩猟対象が兎や鴨など食べて美味しい動物であるのに対し、「食べ物は最低だがテーブルマナーは最高」(Watching English, Kate Fox)で食を重んじないイギリスでは食用にはならない狐をもっぱら狩の対象としてきたのは興味深い。「毛皮と人の歴史」(西村三郎)によれば狐狩りはその皮革を主要取引物産とするバイキングから引き継がれたものだというから、その末裔であるノルマン人の「バイユータペストリー」の絵柄と「ベスティアリ」の図柄に共通点があるのもこれまた興味深いところだ。

「ベスティアリ」に曰く、

狐は非常な速足あり常に蛇行し直行することなし。これ狡知狡猾な生き物なり。これ空腹で獲物を見出しえぬとき、赤土に転がり、まるで血まみれの様子を装い、横臥して息を殺し、あたかも死んだふりをす。鳥これを見て、これ息をせず、流血し舌を突き出しておるゆえ、死んでいるものとみる。鳥、狐の上に飛び降りたつに、狐、鳥を捕らえて食す。狐は悪魔の象徴なり。首を捕らえられ、処せられるまで全ての生きとし生けるものの前に死として立ち現れるものなり。しかし聖なる人にとりては、これ信仰によって無となし、真に死んだるものなり。狐の行為を為せるものは死ぬる定めなり。十二使徒に言うごとく、肉体の前に生きるものは死ぬ定めなり。しかし、肉の行為を治め、精神に生きるものは、これ生きるものなり。ダビデに曰く、汝大地の低きところに行くもの、汝剣に倒れるもの、汝これ狐の化身なり。

言うまでもなく、狐が人を騙す噺は本邦にも数多い。白川静の「字統」によれば、「日本霊異記」にある狐に化した女が男を騙す話が初出の由。英語にはfoxy ladyという言葉があって、これ極めてセクシーな女という意味だが、本邦の稲荷神社にお狐様がかくも祀られている様を見たなら、イギリスの狐は腰を抜かすことだろう。

(林 茂)


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