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『若者の労働と生活世界』本田由紀編(大月書店)

若者の労働と生活世界

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「排除される若者たちを知るために」

 いま、若者がやり玉に挙げられている。中高年のインテリたちが、ストレス解消のために、あるいは出版社の要請に応えて書き散らしている若者バッシングを目的とした本がよく売れている。これらを「俗流若者論」と批判する立場の若手論客も登場している。かように、いま日本の中高年のサラリーマンや企業経営者の多くは若者を信用していない。

 本書『若者の労働と生活世界』を、このような若者バッシング本に飽き飽きした人に読んで欲しいと思う。本体2400円は書籍としては高額であるが、いまの若者達が置かれた状況を知ろうとする人ならば、十分に元が取れる内容になっている。

 編者の本田由紀は、若者と労働についてこだわって実証研究をしてきた若手研究者である。本田は若者には「いまの日本社会において急激に噴出しているさまざまな揺らぎや閉塞、困難、圧力、破綻、あるいは萌芽などが、集中して現れている」と指摘する。

「ところが、そうした状況にある彼らを、相対的に安定した立場にあり過去の社会体制の遺産を享受しつつ生きている年長者は、共感をもって理解することができず、批判的に記述したり、自らと同種で共感可能な存在へと矯正しようとしたりすることがしばしばである。その種の「若者論」は巷に溢れている。年長者はそうした「若者論」を読んで溜飲を下げ、自らのあり方でよいのだと胸をなで下ろす。そうした年長者の強圧的で自己慰撫的な姿勢に対して、若者たちの多くは無言の軽蔑を持って受け流すだけであり、強烈な反撃になど出ることは、とくに日本では、きわめて希だからである」

 本書は、この「無言の軽蔑」を、若手研究者が「緻密な反論」として提出した試みである。

 私は本書のなかから第5章「就職活動 新卒採用・就職活動のもつシステム」(齋藤拓也)をある専門学校の講義で生徒に読ませたことがある。学歴コンプレックスのある専門学校生にとって、大企業への正社員採用は夢だ。しかし、彼らの多くは就職活動で挫折していく。大企業に就職できるのは、有名大学の卒業生に限られている。「人物本位」という採用のうたい文句を信じて、就職活動をした結果として、何十社もの会社からの不採用通知が続く。そんなことが続いたら、その若者は自分の人間性が否定されたと感じるだろう。そんなに深刻に考える必要などない、という励ましは無力だ。「人物をみている」という企業側の言葉を信じた無垢な若者は、不採用が続くほどに、「自分は就職するに値しない人間」なのだ、と落ち込む。

 会社は人間性など見ていない。学歴を見ているのだ。そう見ていることを会社は正直に言わない。言えば、学歴差別をしている企業だと批判されブランドイメージが落ちるからだ。

 この種の欺瞞は世に溢れている。が、いつの頃からか「そこに欺瞞があるから注意せよ」と年長者は若者に語らなくなったのだ。そのツケは社会のなかでもっとも立場の弱い人たちに押しつけられる。こうして、中高年の雇用は守られ若者の就職機会は減ったままで維持される。

 仕事をすぐに辞める若者がいる。求職、就職、退職を繰り返していくうちに生活困窮者になっていく。行き着く先はホームレスである。よい仕事を求めて一生懸命に求職活動をしていたのに、なぜその若者は会社をすぐに辞めるのか。

第9章「若年ホームレス 意欲の貧困が提起する問い」(湯浅誠・仁平典宏)は、若者支援の現場から見えてきた、若者をとりまく「五重の排除」を鮮やかな手つきで表現している。本書における白眉の論考だ。

 五重の排除とは(1)教育課程からの排除、(2)企業福祉からの排除、(3)家族福祉からの排除、(4)公的福祉からの排除、(5)自分自身からの排除、の5つである。

 私たちはこの5つのセーフティネットの中で生きている。教育を受けることで希望の職種に就く機会が増える。会社に就職することで給与をもらい、福利厚生などの恩恵を受けることができる。家族がいることで衣食住のコストをシェアすることができる。日本国民の権利として生活保護などの公的福祉サービスを受けることができる。そして、自分は普通の人間なのであるという自尊心が育まれる。

 「若年ホームレス」で紹介された若者は、身体的健康以外、5つのセーフティネットがすべて剥ぎ取られた丸裸の状態にあった。支援がなければ、餓死するか、自殺するか、犯罪者になってしまうのだ。

 理想をいえば、本書は、社会的弱者になっている若者に読んでもらいたいと思うのだが、弱者となった境遇にある若者には、自分の置かれた環境を知る術がない。本書で書かれたことが、マンガやテレビなどの大衆的なメディアによって表現されることを願うばかりだ。


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