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『ビューティ・ジャンキー』アレックス・クチンスキー(バジリコ)

ビューティー・ジャンキー

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「美容整形の先進国アメリカの現実」

 美容整形の内幕を描いたルポである。
 いま美容整形をしたいと考えている人は読んで欲しい。一冊2000円(税抜き)で、美容整形産業のエッセンスが理解できる。たいへんお買い得である。肉体にメスを入れると後戻りできないが、書籍によって知識を得ると選択肢がぐっと増える。美容整形をするかしないか。するとしたらどのようなサービスにするべきか。多忙な医師は、無知な患者に高い利益率のサービスをオススメする。そのサービスが自分の身体、そして希望にマッチするのかどうかは、自分自身しか分からない。人に頼ることなく、選択しきって欲しい。美容整形ノンフィクションは有益な情報源である。

 日本の産業は、アメリカで成功したビジネスモデルを日本国内でも実践することが多いので、ここで描かれた事実は、数年後の日本の現実に変わると思ってよい。

 人間はなぜ顔などの外見に執着するのか? そして身体改造にはまるのか? という問題については拙著『自分の顔が許せない!』『肉体不平等』『「見た目」依存の時代』で詳述した。その過程で、日本語になった美容整形についてのノンフィクションの全てに目を通してきた。

 本書を読んだのは、美容整形問題の最新のアメリカ情報を確認するためである。事実や現象の変化はある。しかし、美容整形産業の底流にある、美と資本主義の関係については変化はない。そして、ジャーナリズムが美を取り扱うときの限界にも変化はなかった。

・2005年、アメリカ国内では1150万件の美容整形手術および手術によらない美容術が行われた。

・患者の大半は35歳から50歳。

・米国美容形成外科医学会の登録医は約5000名。

・35年間で、鼻の形を治したり、顔の皮膚を持ち上げたりできる医師の数は約100倍。

 美容整形へのニーズはウナギもぼりというわけだ。

 日本では、美容整形を受けるハードルが低くなった。ヒアルロン酸の注射で知られるプチ整形が流行して、美容整形サービスとしてすっかり定着した。親が娘に美容整形を受けさせるとか、就職試験対策として美容整形を受ける学生もいる。すべて報道されており、批評されている。

 日本では『ビューティー・コロシアム』という美容整形普及番組が人気である。美容整形大国アメリカにも同じような番組がある(余談だが、きっとアメリカの番組を真似して、日本でも『ビューティー・コロシアム』が制作されたと思う)。この美容整形番組に出演し、顔面を改造した女性のなかには、肉親と異なる顔になってしまったため、毎夜後悔のために泣いている、という人もいる。美容整形番組に出演しようとしていたのにテレビ局から土壇場でキャンセルされたために、悲嘆して自殺した女性がいたということもレポートされている。人はいろいろな理由で絶望して自殺するのだ、と驚くばかりだ。

 さらに、本書を書いたジャーナリスト自身が、美容整形手術体験者てあることをカミングアウトし、そのときの心境を正直に記録している。

 このように多面的に美容整形をレポートしているという点で、過去の美容整形ノンフィクションのなかでも良質である。

 アメリカには恐ろしいほどのエゴイストそしてナルシストがいる。「ネコそっくりになることを選択し、外科医を見つけて顔をネコそっくりな表情にしてもらった」という女性がいるのだ!

 著者は、このような事実を評して「結局、美容整形についての議論は選択という概念にかかっている」「つまるところ、自分を破滅させるか高めるかを選ぶのは自分自身なのである」と書き留めている。

この書評空間で紹介した「生きるための経済学」の書評を読み返してほしい。

 著者の安冨歩は、選択の自由こそが人々を不幸にしている、という新しい視点を提示している。

 この「生きるための経済学」の観点からいえば、美容整形ビジネスとは、人々を焦燥感と不安に駆り立てることで利益をあげる産業である。

 本書の著者であるアレックス・クチンスキーは「選択の自由」という資本主義の根幹を懐疑することができなかった。それゆえに、結局のところ高級な美容整形ガイドブックになっている面がある。

 著者は本書執筆時38歳。この肉体年齢では、美という価値の虜になっているのも無理はない。もうすこし歳をとり(たとえば更年期を経てから)、美容整形産業を取材したら新しい視点が発見できるのではないかと想像した。

 美容整形産業とそれに魅せられる人間(とくに女性)をレポートするにはジャーナリズムだけでは力不足なのだろう。今後、美容整形産業は、生殖細胞、子ども、男性、老人を巻き込む巨大なビジネスに成長する。多面的な分析が必要である。

追記

 私は美容整形反対論者ではない。顔にメスをいれて改造したいという渇望は理解できる。しかし、美容整形をひとつの産業としてみると、きわめてリスクがある。肉(水分とアミノ酸)と骨(カルシウムなどの塊)は、一時的にコントロールできても、すぐにグニャグニャになるからだ。人間の美意識も変容する。その流動性を知ったうえで、顧客を満足させるのは神業である。

 美容整形産業は、消費者からのクレームを押さえ込むための高度なスキルが必要なのである。このリスクに見合った利益がでなくなったとき、このビジネスはどうなるのか。美容整形ビジネスが隆盛を極めようが、破綻しようが、その後には、傷だらけの顔面と肉体が残される。表面的には美しくとも、キズは残るのである。キズを隠すための葬式ビジネスにもニーズがある。老醜を断念することを拒否した現代人はどこにいくのだろうか。日本もアメリカと同じ道を歩むのだろうか。

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