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『ケータイ小説のリアル』杉浦由美子(中央公論新社)

ケータイ小説のリアル

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「書き手と読者が求め合ってできた文芸はいかに生まれたのか?」

 私はケータイ小説を読んだことがない。ケータイ小説からミリオンセラーが出ていることは知っている。名の知れた書評家がケータイ小説のヒット作を酷評していたことを覚えている。
 ケータイ小説そのものを読むのには抵抗感かあるが、新しい小説のジャンルの登場を気にしている。しかし、読むに値する小説があるのかどうか、と思う。だから、その周辺の言説を読んでしまう。

 本書は、ケータイ小説というブームの真相を読み解くための手引き書であり、女子読者の心理を分析した文明批評になっている。

 かつて摂食障害やおいを論じた、批評家の中島梓による『コミュニケーション不全症候群』筑摩書房)に匹敵する仕事だ。感嘆した。中島梓の後継者が出てきた。

 杉浦由美子は、『オタク女子研究』原書房)でデビューした、フリーランスライター。その豊富な読書体験をベースに、ケータイ小説が売れる理由をルポしている。

 

ケータイ小説とは、携帯電話を使って書かれ、携帯電話の画面で読まれる小説のこと。著者の多くはプロの作家ではなく、一般の若者によって書かれている。

 私が、なぜケータイ小説に手を伸ばさなかったのか。本書を読んでその理由が分かった。

 著者が匿名であり、その存在感が希薄だからである。このような信用性の薄い商品、作家性の低い商品をお金を出してまで購入することに大きな抵抗感があったのだ。ようするに、どこの馬の骨が書いたのか分からないものにお金を出したくない、ということだ。なんと頭の堅い人間になってしまったのだ、と思う。

 ところが、この匿名性が、若い女子読者にとっては、共感を呼ぶ属性になっている。この価値観の転換にはひっくり返った。

 普通の人が匿名でケータイ小説を書いている。書くことが喜びであって、お金や名声を求めているわけではない。そういう書き手がケータイ小説を支えている。書き手たちの多くは若い女性。彼女たちは、匿名的な存在であるために、読者からの妬みを避けることできる。いわば自己防衛としてのペンネーム。読者からみると、特別な才能のある実名をもった現実の書き手よりも、自分でもマネができそうな稚拙な文体と、ありきたりの舞台設定のほうがその物語に共感しやすい。

 ケータイ小説作家たちは、書くという行為を楽しむ。「書くという行為が消費」なのである。クリエイティブなことをする、という時間消費行動をとっているのだ。彼女たちは、世界最大のブログ執筆文化をほこる日本で、自由気ままに物語をケータイで打ち込み、小説サイトにアップしていく。読者は、その小説を携帯電話で読むという時間消費をして、感想をブログにアップしている。相互にコミュニケーションをしながら、小説は完成されていく。読者が作家を励ましているのだ。ネット社会ならでは。ケータイ小説作家と読者は、携帯電話の液晶画面を通じて、コミュニケーションをしながら、物語を違いに別々の方法で消費しあっているのである。

 共感するために。自分自身の存在感の希薄さを埋めるために。

 杉浦によれば、ケータイ作家の多くは若い美人であるという。普段は普通に会社で働き、余暇としてケータイ小説を書きつづっている。若い美人には、「小さな事件」が起きやすい。この「事件」を通じて、美人たちは自意識を拡張させる機会を得る。そしてブログにその心境を書いているうちに、妄想が生じ、フィクションが生成していく。日記という実録から、小説というフィクションに物語が変質していく。

 この過程を杉浦は丁寧に追体験させてくれる。杉浦自身が、ネットに書評を書くという消費行動によって、プロの書き手になった当事者だからだろう。プロの気持もわかるし、ネットに無報酬で記事を書くアマチュアの気持も理解できるのだ。

 権威主義で固まった文芸業界のつくる書籍が幅広い読者から支持されなくなって久しい。ケータイ小説はこの空白を埋める役割を果たしている面もある。

 最近になってケータイ小説の売上げは下がっているという。ブームは必ず去る。ケータイ小説作家たちの自己表現は、陳腐化していくのか、ほかの自己表現方法に移っていくのか。

 ケータイ小説の主要な消費者である、若年人口は少子化のために今後は加速度的に減少していく。若い女性の書き手と、読み手をターゲットにした小説ビジネスが突然消え去る可能性もある。いつ消えるかわからないはかなさがよい。ケータイ小説のリアルは、少子化社会のリアルを感じ取る格好の材料でもあるのだろう、と思う。

 そしてひとつのことがブームになると、それに殺到し、しゃぶりつくすまで演出されていく日本人のコンテンツビジネス消費のありようをみる鏡でもある。

 こうして書いてわかってきた。私は、ケータイ小説のワンパターンさにつきあうのが面倒くさいのだ。時間がたくさんある、という幻想をもっている若い女性たちのためにあるコンテンツは、私にとってノイズである。しかし、そのノイズとほどほどの距離感を持ってつきあうことは、生きるために必要な知恵である。その知恵を、杉浦は丁寧に教えてくれたと思う。

 私はケータイ小説を1冊も読んでいない。

 読む必要がないと思っている。

 仕事であれば読むだろうが、いまの私には必要がないコンテンツだからだ。

 万人受けするコンテンツはないのでそれでいいのである。  

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