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プロの読み手による書評ブログ

『不安の力』五木寛之(集英社文庫)

不安の力

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「五木ワールドのリアル」

 先日、「ケータイ小説のリアル」を紹介した文章をこのブログにアップした後で、中高年向けの生活苦をテーマにしたケータイ社会批評があったら読みたい、と思った。そのあと書店にいって文庫を眺めていると、五木寛之『不安の力』が、読め、と語りかけてきた。私にとって、軽いタッチで空虚な自分と向き合いたいときは五木ワールドに入り込む。居心地がいいのだ。中高年の生活苦を平明な文体で解説する小説、エッセイ。この20年ほどの五木寛之の仕事はそれにあたる。

 五木ワールドの特徴は、何が書いてあるのか、読まずしてわかる、という点だ。彼の文章には中毒性がある。1冊読むと、五木ワールドの物語構造が、自分の思考にしっとりなじむのだ。その印象が、何冊読んでも味わえる。五木文学とは、毎日たべても飽きることがない、近所の定食屋のメシだ。ご飯、味噌汁に一品おかずをつける。ときにはキリンビールをつけて、串カツで一杯。翌朝になると、昨夜、何を食べたのかは覚えていないが、元気になっているのである。五木の文章は読んでいるときは心地よいのだが、翌朝思い出すことがない。すっきりしている。私は「不安の力」を昨日、読んだが、10時間後のいま、ほとんど内容を思い出すことがない。「私もそう思います」と感じられることばかり書かれているからである。違和感のない読書体験。これをコンスタントに提供できる五木は本物のプロ作家である。

 日本人全体への憂愁、共感、反発がわかりやすい文体で書かれている。難しい専門用語は出てこない。五木は仏教を知識が豊富である。そのため、仏教用語をひとつ解説しようとすると数十ページ、場合によっては1冊まるまる使うことをいとわない。衆生は、複雑な仏教の神髄を理解することができない。それゆえに過去の仏教宗派の始祖たちは、お題目などの短い言葉で人々を救おうとした。五木の言葉がシンプルなのはそのためだ。

 読んでいて、あざとい、しかし、潔いと感じるのは、書くネタに尽きたとき、枯渇したと正直に書く点だ。五木ワールドに慣れない時期は、舞台裏を書くな、と思っていたのだが、日本人のほとんどは、「生きるネタに尽きた!」という諦観のなかであがいているので、五木の「書けないときは仕方がない」という開き直りを読むと、救われるのであろう。五木のスゴイところは、その個人的な執筆業の焦燥感を、日本人全体の閉塞感につなげてしまえる筆力である。

 これに仏教の知識と体験が加わってから、五木は国民的な作家になったと思う。ベストセラー作家が年に数人登場するが、五木の仕事の営みをみていると、すべて小粒にみえる。五木は毎年ベストセラーを出し続けているのではないか? 数字を確認したわけではないが、そう思う。どんな書店にも五木の本は入手可能。仏教の知識を獲得したあとは、作家というだけでなく、自己啓発ライターとして不動の地位を獲得している。

 ビジネスをするうえで必要な知識を獲得しようと、さまざまな自己啓発書を読んできたが、五木の書く自己啓発書は日本人に優しい。会計、英語(外国語)、パソコン、時間管理、マネジメント、という現代人に必須になったスキルがなくても、自分らしく生きることはできるよ、という語りを読んでいるといやされるのである。五木のいうことを真に受けると、競争社会ではサバイバルしにくくなるのだが、五木ワールドに滞在しているときはそれでいい。

 私は五木ファンである。

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