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『男の隠れ家を持ってみた』北尾トロ(新潮社)

男の隠れ家を持ってみた

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「ちいさな変化の大切さに気づく時」

結婚してから、既婚者の手によるほのぼのしたエッセイが気にかかるようになりました。大きな心境の変化です。独身のときは、同じように独身生活をしている人の書いたものにリアリティを感じていていて、その嗜好はずっと変わらない、と思っていたのですから人間変われば変わるモノですね。

 というわけで、今回は生活者の真実に迫る書籍を選んでみました。

 本書『男の隠れ家を持ってみた』は、自動車(ワンボックスカー)のなかに「隠れ家」をつくる,という、今私が取り組んでいる企画のために手に取りました。仕事のネタとして買い求めたのです。

 読んでみて、これは「中高年男性の生き方再検討ノンフィクション」の秀作である、と思いました。

 著者の北尾トロさんは、東京都杉並区の西荻在住のフリーライター。結婚して2歳の娘さんがいます。執筆時は47歳。子どもを持った年齢が40代後半。子どもが成人したときは65歳すぎ。フリーライターの稼ぎで大丈夫なのか? 将来を考えているのか? と、北尾さんの立場をこうしてまとめているだけで、スリリングであります(現実には、将来を深く考えても仕方ないのですが・・)。

 北尾さんは、家族と住む自宅とは別に徒歩圏内に仕事場を構えている。仕事のスタイルとしては、自分の興味のあることを体験をベースにエッセイ風に書く。普通の人にとってどうでもいいことでも、自分が気になったことを書く、というタイプ。マーケティング意識ゼロのライターです。なんでもかんでも売れることを中心にまわっている世知辛い世の中で好感の持てる執筆スタイルといえるでしょう。

 北尾さんは、雑誌記事の企画を考えているうちに、自分の人生を振り替えることに。

 いま自分がやりたいことは何だろう。

 それは、ペンネーム北尾トロという虚飾をなくした「素の自分」として生きることでした。そのために北尾さんは東京の西日暮里の近くに家賃4万2千円のアパートを借ります。自由業者としての文筆業が使用するペンネームは、サラリーマンが仕事で使う「立場」に相当するラベル。ペンネームを使わないで生きるとき、裸の自分と向き合うことになるわけです。

 その立場とは社会的な役割を示すモノ。資本主義である以上、この立場は「交換可能」であることは改めて言うまでもないでしょう。交換可能である限り、むなしさがつきまとう。不安は消えません。

 北尾さんは、長くペンネームで仕事をし、生活してきました。したがって、出会う人のすべては北尾トロしか知らない。本名の素の自分自身を知っているのは、家族とごく一部のライター以前の人生を知っている人間だけ。

 北尾さんはアパートを本名で借り、そのアパートを拠点に、本名での人間関係をつくろうとしていきます。

 このプロセスがじつに些末な記述に終始しているのですが、それが実にいい。

 (私はこの北尾さんの新生活を読みながら、海外での旅を想起しました。日本での立場や職業が完全にリセットされて、ただの人間になったとき、どういうふうに友人をつくり、自分のアイデンティティを確保していくのか。長旅を経験している人たちは、これを体感しているはず。そのリセット感覚が心地よいという人は、真の旅人だと思います)

 北尾さんは家族がいます。したがって隠れ家にずっといることはできません。同居する妻の理解を得て、西荻から東京某所の隠れ家に通うのです。近所の居酒屋、バーにでかけては、見知らぬ人との交流をもとめる。大家さんに、離婚して子どもとあえない中年男であると、誤解されても、真実を告げることができないため、立ちすくむ様子。こうした描写が、中高年のよるべない孤独として迫ってきます。

 独身の酔いどれオヤジに北尾さんがいわれた言葉がふるっています。

 

「おらぁ食えてるだけでめっけもんだと思うからさ。いろんな可能性があったかもしれないよ。仕事だってそうだし、結婚して孫でも抱いている人生だってあったかもしれないじゃん。けど、それ言い出したらキリないもんね。なんとかなってるってことは、悪いことせずにちゃっと働いているってことなんだから」

 「よくわかんねぇけどさ、仕事とか家庭とかいちいち切り離して考えなくてもいいじゃん。お兄さんは何だか悩んでいるようだけどさ、何したってその人らしさって隠せないもんでさ、つきあうほうは案外わかってるもんだよ」

 北尾さんは、心情を吐露します。

 「飾り気のない言葉が胸に染みてくる。ぼくが出会いたかったのは、このオヤジみたいに実直で、しっかり地に足をつけた生活者なのだ。こういう人との出会いが、僕の人生にはありそうでなかったのだと思う。ライターをしていれば、取材で多くの人に会う。いい顔をしたオヤジもたくさん見てきた。でも、しょせんは取材。聞く者と話す者である」

 北尾さんは本の中でうまく言葉にしていないけれど、この隠れ家生活によって、ライターという社会的な役割から自由になった、と思いました。役割で得られる人間関係には深みがありませんから。

 いま北尾さんは長野県のちいさな街、理想の書店をつくるという活動を始めています。地に足がついたのでしょう。自分探し本とは一線を画す、いい本です。


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