『罪と罰』本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二(イーストプレス)
「犯罪被害者遺族を代表することになった一人の父親が10年の戦いを振り返る」
妻と愛娘との幸福な生活をしていた平凡な夫、父親。本村洋さん。本村氏は、1999年4月、当時18歳の少年によって妻子を惨殺された。ほどなく警察は少年を逮捕。悲しみの中、木村氏は加害者少年には厳罰が下されると思っていた。しかし、少年法の壁が立ちふさがった。非公開が原則の少年審判という名の、被害者を蚊帳の外に排除した「裁判」制度。被害者は実名報道されるが加害者は匿名を保障される。加害者少年は更生を期待され法の保護のもとに置かれるが、被害者の救済制度はまったくない。
被害者遺族として、本村氏は元少年に対して死刑を求めた。被害者感情として当然の要求だろう。しかし、その本村氏の主張に対して、死刑廃止論者と言われる人たちが反論。ひとりの被害者遺族として当然の気持を語っただけで、政治的な論争に巻き込まれていった。
数ある殺人事件のなかで、本村氏の「山口県光市母子殺人事件」は、この10年もっとも注目された事件のひとつになった。
広島地方高等裁判所は、2008年4月22日、被告Fに対して死刑判決を下した。この判決は最高裁判所が高等裁判所に審理を差し戻した上でのものであり、刑は確定した。犯罪者は死をもって、ふたりの生命を奪った罪をあがなうこととなる。
本書は、この本村氏の戦いを言論界から支えた二人の論客(宮崎哲弥、藤井誠二)の3者による鼎談としてまとめられた。
藤井誠二の著作をこの書評空間で紹介するのは3度目となる。今回、本村氏の発言に興味をもったのは、私自身が一児の父親になったためである。育児に専念している専業主婦の妻と子供が、何者かにねらわれたとしたら? 息子のおしめを替えているときに、ふと、そうイメージすることがある。そんな馬鹿なことは起きるはずがない、とは思うが、藤井誠二という畏友の著作を読んできた人間としては、殺人事件が一定の確率で必ず発生することは知っている。確信犯的な犯罪嗜好をもった人間にねらわれたら、成人した男性でも逃げることはできない。妻子が殺害されたとき私はどうなるのだろうか? 不安である。愛する家族が殺害される不安。殺害されたことによって自己が変貌する不安。世間の目がかわり、生活がどう変わるのかという不安。家族が殺害されることによって出現する不安には止めどがない。
本村氏の発言が大きな影響力をもったのは、その普通の人の不安をずばりとついた事件の当事者になってしまったからだろう。
読んでいて驚いたことがいくつかあった。
本村氏は、殺人事件が発生してから今に至るまで変わることなく山口県の会社でサラリーマンをしているということ。メディアの取材に応じ続けてきたあの活動はすべて会社の勤務時間外であったのだ。
自身の発言が社会的な影響力を持ったとき、凶悪犯罪事件の判例を読んでいたということ。犯罪被害者は、トラウマ体験によって、類似の事例の記録を読む気力がわかないと思っていたのだが、本村氏は違った。
社会学の古典(アダムスミスなど)を読んで、人間と社会の関係について深い洞察をしてきたこと。被害者遺族は、社会的発言によって生じる、世論に立ち向かうために理論武装をしなければならないのだ。なんということだ。喪に服すことができないではないか。
その上で、遺族としての法廷に出廷しただけでなく、同じような悲惨な体験をした被害者遺族の権利擁護の運動を推進してきた。
この10年間は、死刑推進論者であるかのように揶揄されることもあった。本村氏はただ犯罪者に命をかけての償いをもとめただけ。日本国憲法下では、そのもっとも苛烈な刑罰が死刑であった。ゆえに本村氏はその執行を求めた。
そして死刑判決は下った。
宮崎哲弥は、仏教者と評論家の立場から、死刑廃止論者のいかがわしさを丹念に検証してくれている。
藤井誠二は、この事件をもっとも早く取材し、もっとも本村氏に信頼されたノンフィクション作家であり、言論面での氏のボディガード役を果たしてきた。
2人の論客が発する鋭い言葉の束にたいして、本村氏はたんたんと応えている。静かに悲しみながらも、社会をよりよくしたい、という希望のために発言することをやめなかった平凡な父親の姿が見えてくる。