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『安部公房全集〈30〉1924.03 - 1993.01』 安部公房 (新潮社)

安部公房全集〈30〉1924.03 - 1993.01

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 1997年に刊行のはじまった『安部公房全集』がこの3月7日、最終巻の刊行にこぎつけ、12年ぶりに完結した。

 27巻まではほぼ毎月出たが、28巻から間隔が開き、29巻から最後の30+巻までは8年以上かかっている。しかし、補遺篇が182頁、書誌篇が682頁、さらにCD-ROMがつくという充実ぶりで、8年かかったというのは納得できる。

 安部公房のファンだったり安部公房を研究したいという人で、全30巻をそろえる余裕がないという人は本巻だけでも入手しておいた方がいい。近代日本作家の全集としては例のないくらい充実した書誌が図書館から全集を借りる時の道しるべになってくれるし、付属のCD-ROMはほとんどの図書館では貸し出しに制限があるからだ。CD-ROMには書誌データのみならず、フォトギャラリー、音声、初版本のすべての装釘、伝記資料の宝庫と言うべき「贋月報」の既刊分がおさめられており、安部公房に関心のある人にとっては必須のアイテムである。昨今の出版情況からいって、おそらく増刷されることはないと思われるので、在庫があるうちに買っておくことを強くお勧めする。

 内容を見ていこう。

 補遺篇ではなんといっても新発見の埴谷雄高宛書簡が興味深い。全部で19通あるが、なんと1947年9月7日付の最初の書簡が含まれており、文学史の一場面に立ち会ったような興奮をおぼえた。

 花田清輝宛書簡は2通だけだが、従来、距離ができていたと考えられていた時期に『第四間氷期』の好意的な書評に感謝したり親しく家を訪ねていたことがわかり、これも興味深い。この時期はまた共産党との関係が決裂した時期でもあるから、たった2通とはいえ今後重要な意味をもってくるのではないか。

 意外だったのは『砂の女』刊行の半年後に映画化のための梗概を書いていたことだ。しかも主人公はアメリカ人であり、細部がかなり違う。映画『砂の女』関係の資料は2007年に開かれた「勅使河原宏展」でも展示されていたが、関係者が健在なうちに映画完成までにどのような経緯があったの、誰か調べてくれないだろうか。

 書誌篇には詳細な年譜と娘の安部ねり氏による「安部公房伝記」が重要である。「伝記」では安部公房の祖父母が北海道に出奔した事情にまで立ち入っている。「贋月報」とあわせ読むと、安部公房が実は旧制高校的な友情の人だったことがわかる。

 最後の「贋月報」には三浦雅士氏による全力投球の安部公房論が掲載されている。

 安部公房は1951年に共産党に入党し、1961年に除名されるまでの10年間、共産党員だった。1956年の東欧旅行以降、共産党との関係が険悪化するが、それまではすくなからぬ文学者を入党させるなど熱心に党の活動をおこなっていた。当然、党活動は作品にも反映していて、マルクス主義を生な形でもりこんだ図式的な作品が目につく。

 三浦論文を一言でいうなら、マルクス主義から安部公房を救いだすための試みといえる。三浦氏は十代の安部公房リルケ体験に注目する。十五年戦争期、日本ではリルケが流行していたが、それは大山定一流のセンチメンタルなリルケだった。三浦氏は安部の最初期の作品を手がかりに、安部のリルケの読み方が同時代のセンチメンタルな読み方とは一線を画す言語論的な読み方だったことを示す。安部は後のハイデガー的なリルケ理解を先取りしていたというわけである。

 三浦氏はついで中期・後期の安部公房のテーマが言語論的・ハイデガーリルケ体験の発展にほかならないことを示す。名辞の剥ぎとられた世界は安部の生涯をつらぬくテーマだったのだ。こうした展望に置き直すと、安部公房におけるマルクス主義は本質的なものではないことが明確となる。

 三浦論文に反発する人も出てくるだろうが、意を同じくするにせよ、反発するにせよ、ここに示された読み方が今後の安部公房研究を方向づけることになるのは間違いないだろう。

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