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『フリー 無料からお金を生み出す新戦略』クリス・アンダーソン (著), 小林弘人 (監修), 高橋則明 (翻訳) (日本放送出版協会)

フリー 無料からお金を生み出す新戦略

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「万物がフリーになるわけではない。希少性という商機はいつも目前にある。」

 インターネットによって、さまざまなサービス、商品の価格がフリー(無料)になっていく。その破壊的な力によって、既存のビジネスモデルが崩壊したり、変革を余儀なくされる。その構造について論じた書籍である。

 著者のクリス・アンダーソンは、ネットの最新事情を伝える月刊誌「ワイアード」の編集長。ネット通販ビジネスの最大手になったアマゾンなどを例にとり、その成功の裏には「ロングテール理論」があった、とレポートした「ロングテール」(ハヤカワ新書)は世界的ベストセラーになった。

 本書のテーマは「フリー」。サブタイトルには「無料からお金を生み出す新戦略」。

そそられるタイトルだ。

無料サービスによって世界のビジネスに大変革をもたらした、グーグルの圧倒的強さの背景にあるのは、まさに無料から金を生み出す仕組みである。そのビジネスモデルは、ロングテール(普通の小売業では売れない稀少品=ロングテールが、オンライン小売では積み重なって安定的な利益を生み出す)よりもミステリアス。とくに、ものづくりによって経済発展をしてきた日本のビジネスマンにとっては、無料から収益性の高いビジネスが立ち上がる理由を知りたいという欲求は強いのだろう。

 本書の販売にも、フリーの戦略が採用されている。書籍の発売と同時に、そのテキストデータをネットでフリーに公開し、そのPR効果によって、紙の単行本が売れた。日本語版は、発売から現在までで10万部を超えた。ベストセラーである。

 グーグルという究極の「無料ビジネスの巨人」が登場する以前の、フリービジネス史に、アンダーソンは着目。無料の何か(パンフレット、試供品)をもとにして、利益を出してきた商売人たちのノウハウを丁寧にひもといていく。無料商材によって、商品を説明し、それを受け取った人の数パーセントが購入する、というビジネス。これは私たちの周囲にあふれている。無料戦略自体は目新しいものではない。無料戦略が劇的に変化したのは、いうまでもなく情報ビジネスの分野である。インターネットの普及によって、情報の価値が限りなくゼロに近づいていく。価格比較という情報を、ネットで無料で入手できることから、リアルのプロダクトの貨幣価値も下っていく圧力にさらされている。

 私たちは「フリーの万有引力の法則」のなかで生きることなったのだ。

 アイデアや情報という形にならない商品は、デジタル革命によって複製コストがほとんどゼロになっている。その価格は、万有引力によってリンゴが地上に落下するようにフリーになっていく。抵抗しようとしても、引力の法則に逆らうことはできない。むしろ、無料化するような、潤沢、ありふれた、価値(たとえば、インターネット環境のなかの情報など)のなかから、希少性の高い、換金化の可能な商機を見つけることが、新しいビジネスの形になる、とアンダーソンは説く。

 私がおもしろいと思ったのは、人間が、希少性のあるものに惹かれる、というくだりだ。

「私たちの脳は希少性にとらわれていて、時間やお金など、自分が十分に持っていないものに心が動きやすい。それが私たちを突き動かすのだ。足りなかったものが手に入れば、私たちはそのことを忘れて、自分がまだ持っていないものを見つけて追い求め始める。私たちは自分が持っているものではなく、持っていないものによって突き動かされているのだ」(282頁)

すべて無料になったわけではない。価値は、希少性のある「何か」に転移していると思われる。貨幣価値からするとゼロになっているが、評判や好感という「社会的評価」という価値があがる事例も記述されている。ブログなどはその最たるものだろう。または、無料の範囲が拡大することで、価値が高まる=希少性が再発見されるものも出てくるだろう。

 アンダーソンは、巻末の資料をつけて、フリーのビジネスモデルの事例も紹介している。かゆいところに手が届く本である。

 私は、インターネットによってコミュニケーションにかけるコストが劇的に下がったいま、どのような対面サービスに価値が出てくるのか、に興味がある。

 情報価値がフリーになったとしても、対面してコミュニケーションをするというコストは消えない。判断材料としての情報がフリーになったために、選択肢が増えすぎてしまうことで、戸惑う人も増えていくだろう。 無料によって、個人の能力価値が、浮上しやすくなっていくわけだが、同じように浮上する人は続々と出てくる。キャラクターの複製も容易になるというわけだ。やっかいな時代になった。

 それでも、希少性をめぐる人間の活動はやむことはない。個人が幸福になるための行動はすべて希少性に通じている。「私だけの幸福」は常に潜在的なニーズである。

 無料になるものが増える時代の動きはとまらない。しかし、無料サービスのおかげで幸福になれて嬉しい、という人は少ないだろう。無料化サービスの氾濫は、人々の行動の停滞を招くかもしれない。

 このようにフリーとは両義的だ。儲かるかもしれないし、まったく儲からずボランティアと誤解されることもある。緻密なビジネスモデルがないと、すぐに資金ショートしていくだろう。

 フリーによって変容するライフスタイルを予測し、行動するものに商機がある。それだけは動かない。

 面白い時代になった。

 

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