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『現代朝鮮の歴史―世界のなかの朝鮮』カミングス,ブルース(明石書店)

現代朝鮮の歴史―世界のなかの朝鮮

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「韓国の現代史を大づかみにするために」

社会学者の高原基彰です。今回からこの「書評空間」に私の担当欄を設けて頂けることになりました。


私は、「分かりやすくて内容の薄い本を何十冊速読するより、濃密で有益な情報のつまった本を1冊、時間をかけて読む方が、得るものははるかに大きい」と思っています。分野・新旧の別などあまり関係なく、そういう意味で私が「なるべく多くの人が読んだ方がいいんじゃないか」と思ったものを紹介したいと思います。よろしくお願いします。

今回は、著名な朝鮮史研究の歴史学者、B.カミングスによる『現代朝鮮の歴史』を取り上げたい。大部であり、値段も高い本である。しかし韓国や北朝鮮について、薄っぺらな本を何十冊読むよりも、本書を通読した方が、はるかに実りが大きいと断言したい。

カミングスは、韓国の知識人に絶大な支持を得るアメリカ人の歴史学者で、特に朝鮮戦争の研究でよく知られている。本書は、そんなカミングスが朝鮮半島の通史を書いた本である。

彼はニューレフトの学者であり、韓国内の政治的布置(むろん日本のそれとは異なる)においても左翼に同情的である。英語圏でも、北朝鮮の人権抑圧への批判意識が足りないなどという批判があるようだ。また日本についても、韓国内に存在する認識の歪みがそのまま反映されている部分があるように思う。

しかしそうした批判が当てはまる部分があるとしても、この本は膨大な資料を駆使しつつ、基本的な経緯とデータを踏まえて書かれており、欠点を補ってあまりある基本知識が詰まっている。何語で書かれても、イデオロギー的党派性が記述のすべてを支配してしまいがちな朝鮮半島の歴史書としては、むしろ極めて抑制的なトーンで書かれた本と言って良いし、現在日本語で手に入るものとして、最良の入門書であると思う。

本書が有益なのは、何よりもまず、なぜ朝鮮半島の歴史がこのように激烈な左右対立、イデオロギー争いとして語られてしまうのかということ自体の、歴史的文脈を知る資料となっていることだ。

本書の主要部分は日本の植民統治期の記述から始まる。左翼による朝鮮史としては極めて異例なことに、日本の植民地行政は単なる「搾取」だけでなく、近代工業化をもたらしたことも事実であると述べていることに、まず著者のバランス感覚がうかがえる。

著者の言う「開発植民地主義」の中で、最初期の財閥が形成されていく。ほぼ当然のこととして、地主層出身の財閥経営者たちは植民統治権力と癒着関係にあった。また4割を朝鮮人が占めた国家警察による弾圧行為などで、「親日派」に対して広く深い民衆の憎悪が醸成されていた。

その最中、特に言論の自由が一定程度緩和された1919年以後の「文化統治」期に、ウィルソンの民族自決主義の刺激を受けた自由主義者と、共産主義者とが、それぞれ民族の独立を唱え始める。潜在的な大衆的基盤を持ち、抗日運動を主導したのは後者だったという。日本が敗戦により引き揚げるまでの間に、右派の金九、中道左派の呂運亨など、何人かの独立運動家が大衆的な人気を得るようになっていた。そして日本が去った後は、右派民族主義者と左派共産主義者の激烈な闘争が起こった。

アメリカ占領当局が最優先したのは、何よりも共産化の防止だった。彼らが許容した指導者は、日本統治下の財閥経営者が結成した「韓国民主党」と、上海の大韓民国臨時政府の代表者だった李承晩だった。不正の多かった1948年の選挙を経て、韓国民主党多数の議会と、李承晩大統領のもと、大韓民国が成立する。しかしすぐに韓民党と李承晩は対立するようになり、李承晩の与党・自由党と、野党であり唯一の現実的批判勢力の韓国民主党という体制が築かれることになる。

こうした建国の経緯は、アメリカの意図により、人望を集めていた独立運動家が排除され、「親日派」が支配層となったことを意味した。さらに独立後に行われた「親日派」への調査と処罰が、アメリカの意向を汲んで早期に終了させられたことなどから、この建国そのものが「民族主義」の不徹底とされる余地を大いに残すことになった。共産主義者は、南朝鮮労働党を結党したものの、激しい弾圧にあい大半が越北した。

そして、朝鮮戦争と「四月革命」による李承晩の退陣などを経て、60年代後半から朴正熙の主導による韓国の高度成長がやってくる。朴正熙その人が「親日派」と目される経歴を持っていたこと、彼が国家的な輸出振興政策のために財閥企業と極端に癒着したこと、さらに、開発に必要な外国援助を獲得するために日米へ急速に接近し、それを「歴史の無視」とする大衆的な反対運動を強力に弾圧したこと……。

こうした経緯を知らなければ、現在に至るまで韓国にあれほど強い反日反米感情が続いている理由は、まったく理解ができない。理解ができないまま、反発したり不思議がったりしても、ただ的外れなだけで何も生み出さない。韓国内に存在する反日的な言論が、しばしば戦後日本の経験について恐ろしく無知であるのと、そっくり同じである。

その後1987年に、当時の大学生(386世代)を主とする「民主化勢力」が、全斗煥政権を退陣させ、後継者の盧泰愚に大統領直接選挙制への改憲を認めさせることで、形式的な「民主化」が達成される。この時、それまで違法だった左翼は、合法的な政治勢力となった。しかしその後も政治を主導したのは旧来型の政治家であり、若い「民主化勢力」の支持した旧・反体制派の政治家も、彼らとの妥結を進めていった。

この構図のまま、1997年のアジア通貨危機を契機として「IMF外貨危機」が訪れ、金大中大統領の元で財閥体制の大規模な構造改革が行われる。ここで、伝説的な民主活動家である金大中が大統領になり、自身が古くから批判していた財閥支配体制の改革の先鋒に立つという、一種の歴史的転換点までが、本書の範囲である。

重厚な内容をなかなか短くまとめることはできないので、ぜひ本文を通読して頂きたい。

民主化勢力」が国会議員の多数を占め、本当の意味で国政の中心に入り込むのは、本書出版より後、盧武鉉政権の時だった。それまで未完とされていた「民主化」が、盧武鉉の登場によって完遂されたとされるのも、そのためである。

ほぼ全員が「民主化勢力」と直接間接に関わりを持った世代である現在の韓国の知識人、特に左派は、過去の独裁政権を「自国」と考えていない部分がある。彼らにとって過去の独裁政治は、現在にまで影響を及ぼしている、否定すべき過去の巨大な影なのであり、たとえば朴正熙の時代に行われた国際協約を、自国が行ったものという意識は薄い。

民主化」後の韓国政治意識として、しばしば半数ほどが浮動層であり、あとの半数を、多数の意識的な保守派と、少数の革新派が分けていると言われる。

盧武鉉政権は、知識人から見て「政治的に正しいpolitically correct」政権であり、かつ浮動層の取り込みに成功した政権だったが、世界的な新自由主義の進展の中で経済問題にはうまく対処できず、政権後半で人気を大きく下落させた。それが現在の、李明博大統領と与党ハンナラ党による保守回帰につながった。

現在の李明博政権は、強権性という韓国の保守政治の衣鉢を受け継いでおり、また国家の成長エンジンの手足を縛ることはできないという理由で財閥に関する規制緩和を推進している。すでにグローバル企業の仲間入りを果たした一握りの財閥企業の業績は好調だが、市井の市民の体感的な経済状況は決して良くない。

他方で、韓国の保守政治家は強硬な反共・反北であり続けてきた。だからこそそれに反対する「民主化勢力」は、抗日独立運動の正統性をより多く引き継いでいるのは北朝鮮であるという主張を含む「民族主義」を掲げ、反共主義に対する闘争を繰り広げてきた。浮動層の多くがこちらに共感した時代が、遠くない過去にあった訳である。

しかし現在、市井の人々は広く、自分たちに北朝鮮との統一を進める経済的余力がないと考えている。それに対し、保守派の李明博の方が対北関係に関する具体的な提案を積極的に提示しているという、一種の逆転現象が生じている。

端から端へ振り子が揺れているだけのように見えても、その軌道は変化している。北朝鮮の今後の動向が不透明な中、韓国の行動も注目されるが、過去についての基礎知識がないならば、未来を見通すこともできない。そういう意味で、韓国・朝鮮の動向に関心のある方におすすめしたい本である。

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