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『ソクラテスのカフェ』マルク・ソーテ(紀伊國屋書店)

ソクラテスのカフェ

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「哲学カフェ事始め」

静岡県浜松市という中規模都市で、明日「哲学カフェ」を始めます。

浜松初ということもあり、インターネット新聞「浜松経済新聞」でも取り上げられました。

 昨年秋に、哲学カフェをはじめると思い立ち、すぐに「哲学カフェ浜松」というブログを立ち上げたところ申込者が3名。この1ヶ月、twitterで「哲学カフェ」についてつぶやくと、やはり4名ほど申し込み。つぎに「浜松経済新聞」で記事が出ますとやはり3名。現時点で合計10名の参加者となります。当日の飛び入り参加歓迎なので、15名くらいになるのではないかな。

 インターネットが普及していない時代には、こういう小さな集まりに、見ず知らずの人を呼ぶというのは難しかった。それがいまはどうでしょう。ネットをうまく使えば、特定のジャンルに関心を持った人から気軽につながれるようになりました。

 哲学カフェが浜松でスタートできるのは、このネット時代だからです。

 哲学カフェは、パリの哲学者が始めた文化ムーブメント。本書はその創始者であるマルク・ソーテ氏によるものです。

 哲学が専門用語にあふれてしまい、市民から遠い存在になってしまったことに憤りを感じたマルクは、パリのカフェで、市民が自由に哲学的な対話をするという「哲学カフェ」を始ます。いまでは全フランスで100以上の哲学カフェがあるというのです。この「感染力」を知って、僕は哲学カフェを浜松でやってみようと思い立ったのでした。

 浜松という町はホンダ、ヤマハ、スズキなどのグローバル企業とその下請け工場が集積しているものづくりの町。文化不毛の町だそうです。文化不毛。これは僕が生まれ育った名古屋でも同様。東京と大阪の中間に挟まれた東海地方にとって宿痾でしょう。文化的な資質をもった人材はかなり流出していく。

 そんなわけで、文化的な何かがない、と嘆いていても始まりません。自分でできることをやる。それも持続可能で、楽しいことをやろう。その僕のアンテナに引っかかったのが哲学カフェでした。

 ルールは簡単。「発言してもしなくても自由」「途中参加・退出自由」「特定の考え・思想を参加者に強要しない」。

 こういう哲学カフェを主宰するのだから、石井は哲学に詳しいのか? 

 いえ。デカルトキルケゴールという哲学をちゃんと読んだことはありません。そういう素養のある人は人口82万人を擁する浜松市にはかならずいますので、難しい話がきたら、そういう知識人に話を振ります。参加者は、哲学書を読んでいないから自分に参加資格はない、と早とちりしなくてもいいですよ。

 哲学というのは、答えの出ないことを考え、問い続ける営みのこと。

 哲学カフェは、「対話」することによって、日常のなかで哲学することを楽しむ、という場です。

 対話のためには相手がいります。その相手とは、哲学したいという意志を持った個人であれば望ましい。

 対話するのもよし。対話を聞くだけで沈黙しているものよし。論争したいときは、進行役である僕が行司役になりますので、どうぞご自由に。ケンカにはならないように。紳士的にお願いします。

 なんて素敵な「仕組み」でしょう。この哲学カフェを創始したマルク・ソーテは尊敬されるべき仕事を成し遂げました。

 しかし、彼の「哲学カフェ」は、フランスの哲学業界からは常に批判にされられていたといいます。

 こんなことでも批判されるの? フランスも保守的だ。

 マルクは、おそらくフリーランスだったのでしょう。哲学的な対話を通じたカウンセリングを有料サービスにしてお金を取ってもいました。その対話のエピソードも面白い。答えは、カウンセラーではなく、当事者のなかにある。その発見を手伝うための時間と言葉を提供するための報酬。筋が通っていますが、哲学業界からは総スカンだった。

 新しいことをするときにはどこにでもあることなのでしょう。

 「哲学カフェ浜松」の前日になって、本書を再読して思ったこと。浜松に固有の哲学的なテーマがある。それを参加者とともに発見し、共有して、世間に明らかにしていく。そういうきっかけ作りの場にしたいですね。

 お気軽にご連絡ください。対話を楽しみましょう。

 


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