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『ご遺体専門美容室』中村典子(Wish Publishing)

ご遺体専門美容室

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「愛知県の「おくりびと」が手で触ってきた死」

 ご遺体をきれいにして、服を着せ、棺桶に納める仕事があります。湯灌師。納棺師ともいわれます。
 2009年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」(監督・滝田洋二郎/主演・本木雅弘)は、この職業をリアルに描き、日本でも大ヒットしました。

 湯灌という仕事のなかには、死化粧も含まれます。この死化粧という「人生最後の美」をつくる仕事をしたい、という人も増えています。死化粧は「エンゼルメイク」という名称で新聞報道されるようになりました。

 このような死に関わる仕事への関心が高まっているのは、つい最近のこと。死に関わる仕事の多くは、忌み嫌われてきました。

 死とは、美醜を超えたものであるからでしょう。

 本書の著者は、愛知県岡崎市で、「ご遺体専門美容室」(株)エンゼルサービスを経営されている中村典子社長のノンフィクションエッセイ。中村さんとは、浜松で開催された起業家塾の講演会でお話をいただいてからのご縁です。もとは会計事務所に勤務。離婚しており、女手ひとつで子供を育て上げました。

 ある雑誌記事で湯灌という仕事を知り、興味を持って調べていくうちに、どうしてもこの仕事をしたい、という思いに突き動かされます。子供の手が離れる頃合いに、湯灌師への転身のための転職活動をするのですが「はじめるには遅すぎる」と年齢の壁で門前払い。諦めることなく、修行させて欲しいとお願いし、修行を受け入れる人と出会います。そして独立。

 順風満帆の湯灌師の人生がスタートしたと思いきや、仕事がない。死に関わる仕事の特徴は、普通の仕事のような営業活動ができないこと。「死を待つ」という仕事に慣れるまで時間をかけたといいます。いまでは、多くの日本人の臨終現場になった病院には、指定の業者が入りこんでいる。創業まもないエンゼルサービスは「ご遺体の市場」に入りたくても入れないという壁に直面した。

 講演で語られる、湯灌師になるまでのエピソードからは、第2の人生を湯灌にかける中村さんの意気込みが伝わってきました。

 そして、本書には、多くのご遺体をめぐる物語が書かれています。

 自殺、事故死、病死、突然死・・・そのご遺体をきれいに洗い、汚れを拭き取り、故人の人柄にふさわしい服を着せて、容貌を整えていく。映画「おくりびと」にあるように、ご遺族が見ている前で滞りなく。

 憤死をした人の容貌を、穏やかにしていく。浴槽で死亡して腐乱してしまったご遺体をきれいにする。

 映画「おくりびと」には、きれいなご遺体ばかりが出てきましたが、現実のご遺体は生臭い、損傷が激しい。人も死ねば腐り、土に還ることを、私たち読者は中村さんの、手ざわりと共に感じることができるのです。

 生後9ヶ月の赤子を残して亡くあった母の湯灌で、中村さんは落涙しながら湯灌。9ヶ月の赤子が亡き母の顔に触れるのですから。同じ年頃の赤子をもつ者として泣かされました。

 気になったのは、本書で中村さんが紹介したご遺体の死因として自殺が目立っていたことでした。

 80歳の高齢で自殺された人もいました。愛知県という平和にみえる土地にも、自殺という現代日本人がとらわれた、「社会的な死」が拡がっているのでしょう。

「あなたの『命』はあなたの愛する人、また愛している人を幸せにしています。

 あなたの『命』はあなたひとりのモノではありません。

 愛する人の為に、愛している人の為に生きることが・・・ただ生きていることだけであなたの生きている意味があるのです」(あとがきより)

 中村さんは浜松の講演で、「人はいつ死ぬのか分かりません。いまこの瞬間を大切に生きてほしい」とおはなしされていました。

 

 ぼくたちは社会の中で生きている。計画的に生きている。仕事で金を稼いでいる。「命のご利用は計画的に!」というキャッチフレーズが似合う生き方ばかり。そうした予測可能な「生」を信じて生きていますが、死が来たときにすべてはひとときの舞台に過ぎなかったと思うもの。さりとて、死を内面に取り込んで生きることは至難。とくに現代日本のようにクリーンで、死の影が見えない社会では。死という抽象ではなく、遺体というモノが、中村さんを通じてぼくたちに死とはなにかを語りかけてくるのです。

  

合掌


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