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『ぼくが葬儀屋さんになった理由』冨安徳久(講談社)

ぼくが葬儀屋さんになった理由

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「暴走族だった青年を店長にする葬儀屋さんの心意気」

 東京よりも地方が面白い。しかし活字になる書籍の多くは、本社が東京のものが多い。本が好きな人から見れば、地方には面白い会社が少ない、となりかねないのではないか。そんなことはないのですが。このサイトでは地方で元気な会社についても紹介していきたいと思っています。
 先日、浜松市の隣町である愛知県豊橋市に打ち合わせに行ったときのこと。見知らぬ、しかし立派な葬儀会社がありました。「ティアという葬儀会社はすごく伸びている」と教えられました。

 豊橋市で大学を過ごし25年の月日が流れて、ずいぶんさびれた豊橋市のなかで、ティアの存在感は、たちどまるだけの力がありました。

 以前、東京にいたとき、葬儀の価格の不透明さを改善して、消費者にとって適正な価格を公開しているという葬祭コーディネーターの活動をゴーストライターとして書籍にまとめたことがあります。そのときと今では、葬儀がどれくらい変わったのか。気になって調べてみました。根本的には変わっていませんが、改革の波が押し寄せていました。

 さきのティアは、葬儀の不透明な商慣行を価格破壊によって変えている会社だったのです。名古屋本社というのもいい。コストパフォーマンスにうるさい名古屋人が葬儀価格に目覚めたのか、とうれしくなります。本書は、そのティアの創業者、冨安徳久社長の起業物語です。

 映画「おくりびと」によって、ご遺体を扱う葬儀の仕事にあこがれる人が増えていますが、その実態はまだ旧態依然としています。

 日本人の大半は病院で死を迎えます。病院から仕事をもらうために葬儀業者たちは病院の管理職に、現金を渡す、という悪習がある。そんな舞台裏が率直に語られます。葬儀会社の出す見積もりは丼勘定。何度も使いまわしている同じ設備に100万円の価格がついてる。不透明な価格設定。このような現実を明らかにした葬儀の内幕本はたくさん出ていますし、ネットでも情報はあふれています。ひどい業者に引っかかる人は減っただろう、と思うのですが、死をめぐるサービスには、タブー意識と遺族感情がからみあって、一筋縄ではいきません。愛する家族が死んで、ショックを受けている。そのときに、葬儀業者がやってきて、数時間程度の打ち合わせで、通夜から葬儀、火葬、納骨までの一連の動きを決めないといけない。そう思ってしまう。ゆっくり考える時間も余裕もない。業者のいうがままに価格が決まってしまう。東海地方の葬儀のお金は平均すると約300万円。葬儀がすべて終わってから、こんなはずではなかった、というクレームになってしまうことが多いといいます。しかし、葬儀は一生にそう何度もあるわけではありませんから、ご遺族は怒りのやり場がない。葬儀サービスの供給者と、消費者が、あゆみよって話す場もない。なにしろ、死の商売ですから。

 冨安社長は、同じ業界の欠点を冷静に語り、謙虚に反省する人です。それでも、このようなひどい葬儀のあり方が放置されてきたのは、ふつうの人たちが死をタブーにしすぎているから、と分析。その言葉に嘘がないのは、誇りを持って携わってきた葬儀の仕事を、結婚申し込み相手の両親に説明したところ結婚は破談。結婚の条件として仕事を変えることを要求されたのです。仕事にやりがいを感じていた冨安社長は納得できなかった。

 日本のような超高齢化社会では死をめぐるビジネスは成長産業。将来の安定のためにも、葬儀という仕事に誇りを持つ青年との結婚は円満に進むと思えるのですが、人は合理的な生き物ではない。死を商売にするなんて、死で儲けるなんて、という嫌悪感がまだ根深いことを知りました。

 冨安社長の移住のルートも気になりました。愛知県豊川市出身、山口大学に合格したのにバイトではいった葬儀業が面白くて入学辞退、そのまま正社員に。この決断の早さは見事。親の病気で帰郷。静岡県浜松の大手葬儀会社に就職。その会社が生活保護者の葬儀を切り捨てる姿勢に反発して独立。ティアを起業。暴走族だった青年を入社させて店長に抜擢するというマネジメント姿勢をみると、社会起業スピリッツがある人です。


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