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『カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-』宇都宮芳明(岩波書店)

カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-

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「啓蒙と道徳の関係」

 この著作の中心的なテーゼは、啓蒙は究極的には道徳的な啓蒙であるということである。啓蒙は周知のように「未成年の状態から脱出すること」と定義されており、カントは啓蒙されていない状態を、「わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食餌を節制する代わりに医者に食餌療法を書法してもらう」(カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』古典新訳文庫、11ページ)と表現していた。
 

 だから啓蒙とはまず、理性を働かせること、良心を働かせること、みずから判断で健康を維持することという三つの領域で考えられているとになる。理性という知の領域、良心という道徳の領域、健康という医学の領域のそれぞれにおいて、「自分の力で考えること」が啓蒙のとりあえずの目標である。

 著者は、この啓蒙の営みの三つの格律をカントの著作から取り出してくる。それは「自分で考えること」「自ら他人の立場に立って考えること」「つねに自分自身と一致して考えること」であり、第一の格律は「啓蒙された考え方」の格律であり、第二の格律は「拡張された考え方であり」、第三の格律は「一貫した考え方」である(p.35)。

 このことにはまったく異議はない。ただ少しだけ気になるのは、「〈自分で考えるひと〉が必要とされるのは、それが最終的には道徳的善悪をわきまえる智恵にいたる道」(p.33)とされてしまうことである。道徳という領域で、良心をみずから働かせることが啓蒙の重要な課題の一つであることは間違いない。しかし自立した理性でみずから考えること、自分の身体の健康をみずから配慮することは、道徳的な善悪を弁えることとは同列に考えることのできない問題ではないだろうか。思考の自立性を道徳的な良心だけに限定するのは、あまりに啓蒙を狭く考えることにならないだろうか。

 たしかにカントは、「理性の真の使命は……、それ自体において良い意志を生むこと」(p.81)であると語っているし、「人類が全体として道徳化されていない段階では、開化や文明化といった理性使用の従属的な目的があたかも理性使用の究極目的であるかのように絶対視され」(p.82)、そのために文明に悪徳が「接ぎ木される」(同)ようなことがあることを憂いて、啓蒙の必要性を強調したのだった。


 『判断力批判』でも、神は創造の究極目的としてすべての生物の中から人間を選びだし、「幸福に値する」存在となるべき「道徳的な存在者として人間」を創造した(p.89)とも語られている。宗教論においても、「制限的な立法の順序と、神への真に宗教的な道徳的奉仕を区別し、……正しく順序づけることが、宗教における〈真の啓蒙〉である」(p.196)ことが語られている。

 カントのテクストを読み込んでゆくならば、カントが「啓蒙の目標は、人類の全面的な道徳化にある」(同)と考えざるをえなくなるのはたしかである。だから著者のテーゼは間違ってはいないのである。しかし、とそこで考える。最初に示した啓蒙の三つの格律は、人々が世界のうちで交流してゆくために必要な格律であり、これはいわば政治的な格律なのである。

 もちろんすべての人類がカント的な意味で道徳化されたならば、それはカントにとってはきわめて好ましいことであろうが、人類がそのような境地にいたることは望みがたいことである。それでもこの三つの格律は、人類のあいだで平和を築くために重要な格律なのだ。たとえカントの道徳的な定言命題をまったく順守しない人々との間でも、カントの用語でいえば、「悪魔の民族」との間でも、この格律が行使されれば、平和を確立することができるはずなのだ。

 カントの議論の背景には、「人間が神に愛されるに値する存在となること」という人間の完全な道徳化の夢が息づいているのはたしかである。しかしカントは啓蒙の三つの領域をあげたときにも、そのことを前面にだすことはなかった。カントの願いと、啓蒙の確立のあいだに、ある距離を置いていたのである。大切なのは、その距離をなくしてしまわないことではないだろうか。究極的には正しいことも、すべての場合において正しいとは限らないのである。

【書誌情報】

■カントの啓蒙精神-人類の啓蒙と永遠平和にむけて-

■宇都宮芳明著

岩波書店

■2006/10/25

■273,11p / 19cm / B6

■ISBN 9784000224710

■定価 2940円

○目次

1 啓蒙の世紀とカント―ヘーゲルの啓蒙批判はカントに当てはまるか

2 カントにとって「啓蒙」とはなにか―啓蒙に必要な三つの格率

3 カントの啓蒙の哲学―「人間理性の目的論」をめぐって

4 啓蒙の要となる道徳―人間の尊厳と人間愛の条件

5 感情は道徳とどうかかわるか―道徳的感情と美と崇高の感情

6 人類の啓蒙に宗教は必要か―カントの宗教理性批判

7 歴史と文化―永遠平和と啓蒙の完成

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