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『怒らないこと』アルボムッレ・スマテサーラ(サンガ)

怒らないこと

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「怒らないという生きるスキル」

 ブロガーの小飼弾さんの著書『働かざるもの、飢えるべからず』小飼弾(サンガ)のなかで、弾さんと対談していた仏教者、アルボムッレ・スマテサーラの語りである。
 弾さんのベーシックインカム論を補強する形で対話をしている相手が、経済学者ではなく仏教者であることがずっと引っかかってきた。その対話相手の著作のメッセージは、「怒らないこと」である。

 僕は比較的よく怒ってきた部類の人間だろうと思う。怒ると疲労する。なるべく怒らないようにするために、ひとつの方法として仏教関連の本を読んできたが、もうひとつしっくりこなかった。本書は、怒ることのデメリットを論理的に説明している、と思う。「と思う」と留保つきのことを書いてしまうのは、怒りの感情にもよき面があるのではないか、と思っているからだ。

 怒っているからできることがあるのではないか、と。確かに怒りにまかせて可能なことはある。しかし、その結果が自分の人生に豊かさをもたらすのか、と考えるくらい僕も大人になった。

 この本は、怒りという感情を哲学的にわかりやすく分析している。

 怒りを冷静に分析する方法は、観察することだ。

 自分の内面にわき上がった怒りという感情を冷静に見つめる。それができた時点で怒りは収まっている。怒りのままに、その感情を噴出すると、その毒が回って自分が生きづらくなる。そんなことを言っても、怒りたいときは怒るよ。と僕も思っていたものだ。しかし、僕よりもよく怒る人の、怒りの感情の噴出を長く観察する機会があった。はじめは怒りの感情を調子よく出して、本人はすっきりするのだが、周囲からの反撃が始まる。それに対してまた怒りを出す。すると時間をかけて、やんわりと反撃される。これを繰り返されているうちに、怒っている人間が自責の念と周囲からの呆れという感情にさらされて、消耗していく。なるほど、怒っても損である。

 ネットでもそうだ。揶揄や中傷をするネットイナゴ(匿名の卑怯者)たちは、怒らせることを目的としている。「世の中にはこんな気の毒な人がいるのだな」と冷静に観察していると、怒りが消失していく。むしろ、会ったこともない人間に対して中傷と揶揄の言葉を紡ぎ続ける人たちの不毛な努力を哀れみ、そのような言葉にかかわらずに健やかに生きていこうという気持ちになっていく。

 怒ったほうがいいことはある。そのときは「怒りではなく、問題をとらえる」ことで解決するとアルボムッレ・スマテサーラは説く。

 まことに論理的である。相手が怒ろうが、攻撃しようが、それは相手にしないで、その人が直面している「問題」を把握する。「あなたが怒っているのは、こういう問題があるからですよね」と共有できれば、その人はずっと怒り続けるという苦役から解放される。怒りの矛先を向けられた、こちらも怒りを受け止めるという不毛な努力から解放される。

 僕は、浜松に住んでからあまり怒らなくなった。理由は、地縁血縁のない異文化の地域というアウェーだからである。土着の人たちの行動と思考パターンが分からない。怒られても、怒っても、すべて学びである。

 このアウェーな感覚が、怒りという感情にとらわれずにすんでいた理由なのだ、と本書を読んで気づいた。

 本書は怒りっぽい人にとって良薬である。


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