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『ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院』水月昭道(光文社)

ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院

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「知識人たちを絶望させる日本社会」

 大学教員という希望する職につけない。その絶望的な状況のなかで、いま博士号を取得した知識人たちが何を考えているのかを活写している。

高学歴ワーキングプア」という言葉をつくった著者は、自分が書くしかない、と決意して、筆をおこした。誰が読むんだろう、という不安があったという。しかし数万部売れた。

 この高学歴ワーキング問題は、社会からあまり同情されない社会問題の一つである。

 博士を出ても就職先がない、ということは、大学業界では常識である。したがって博士を取得したら自力で生きていけ、と言えなくもない。

 しかし、現実は、非常勤講師というアルバイト生活、がんばれば専任講師になれるという淡い期待のなかで、精神が摩滅していく俊英たちが後をたたない。

 大学院博士過程修了者たちのその後を追跡調査した結果によると、「死亡・失踪者」の割合は9.1%。これは平成21年度のデータである。異常な数字だ。税金をつかって養成された若き知識人たちが社会から「消えている」のだ。

 仕事がない博士たちはこれまで戦ってこなかった。なぜなのだろうか。

 年収200万円程度の困窮生活を、社会に訴えたとしよう。そのとき、教え子たちは、非常勤講師をしている自分たちの教師が、尊敬するに値しない人間である、社会の敗残者であることを知ってしまう。それが恐ろしくて、当事者たちは沈黙し、社会問題化されることはなかった。当事者同士の連帯もなかった。こうして問題は放置され、絶望する博士たちが増え続けていく。負の連鎖が止まらなかったのである。

 著者は前著「高学歴ワーキングプア」を書いてから、講演会に呼ばれるようになった。高学歴ワーキングプア問題は、文部科学省と大学経営者によって構造的にできた問題であることを伝えている。あるご婦人が近づいてきた。息子は東大卒で博士を取得。しかし就職はなかった。母は叱責した。30代になってもアルバイト生活だった。彼は心の病に倒れた。母は、著者に言った。もっと早く、高学歴ワーキングプア問題を知っていれば「彼を苦しめることもなかったかもしれません」と。いま母は息子を必死で支えている。

 日本は知識人を冷遇する社会になっている。

 過去の歴史をひもとくと、冷遇された知識人たちは革命を起こしてきた。ロシア革命がそうだ。日本では、幸福感を喪失した若い知識人層たちが、オウム真理教に入信してサリン事件というテロを起こしている。

 

 高学歴ワーキングプア問題の先にあるのは、本書のタイトルである「ホームレス博士」だろう。ただのホームレスではない。知的に武装したホームレスである。多くのホームレス博士は、メンタルのダメージのために立ちあがれないだろうが、一部のホームレス博士は怒りのなかで立ち上がると思う。本書を読んでそう確信した。著者は、文筆と信仰で怒りを鎮める道を歩んでいる、いわば恵まれたワーキングプア博士なのである。

 日本は優秀な人材を活用してない社会なのだ。高学歴でもいいじゃないか。高学歴であるという理由で採用しない会社が多すぎる。これは女性だという理由で正規雇用をしない、男性中心の雇用を堅持しているいまの会社のありようにつながっている。

 

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