『新版 子どもからの自立』伊藤雅子(岩波書店)
こどもをあずける、ということの大切さを、あらためて今、ゆっくり考えてみたい。
こどもにとっても、あずけられるという体験は、
けっしてオトナの(オンナの)都合でその時間を我慢してやりすごしているというものではないのだ。
子どもをあずけるということは、今の世の中、単に親が働くから仕方なく、というだけではないのだ。
じゃあ、子どもにとって、どんな意味があるのか
親と四六時中一緒にいるということは果たして「保育に欠け」ないのか?
本当に子どもにとっていいことなのか?
オンナであること、産む性であること・・・考え出すとキリがない。
子どもを体張って産むのはあたしたちだ。
かといって働くこと、育てること、そして預けることがあまりにも一緒くたになっていて、
はっきりされていないことだらけでもやもや感たっぷりで、あぁ、いらいらする。
けれど
その「白黒つけられていない」という事実すらも、女たちがそのスパイラルに陥っていることも、
いつのまにか諮られていることではなかったか?という疑いすらわいてくる、
この考えるのがおっくうな感じ・・・思考停止をさそう雰囲気・・・
誰だ、それを諮っているのは!
30年前に書かれた文章にうちのめされる。
そして、いまなお新しく、次の世代の私の胸を打つ。
問題提起されて30年、「今なお古びていない」ということが、
つまり何も環境が変わっていないではないか、という失望感でもあるが、
だからこそ絶やさず私たちが次に伝えていかなければならない課題だと心に刻んだ。
著者のバトンを誰が引き継ぐのか?引き継ぐものがいるのか。