書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『アドルノの場所』細見和之(みすず書房)

アドルノの場所

→紀伊國屋書店で購入

講談社の『現代思想冒険者たち』シリーズで『アドルノ』を著している著者によるアドルノ論集である。この著書を読むと、改めてアドルノにおけるベンヤミンの影の強さを実感せざるをえない。とくにそれが顕著に感じられるのは、第一論文の「アドルノにおける自然と歴史」と(かなり重複するが)第八論文「〈自然史〉の理念再考」である。

第一論文では、「自然史」という概念が、「自然あるいは歴史という単一の概念では捉えることができない具体的な歴史的現実を、それらの概念をいわば酷使することによって開示する」(一六ページ)という方法であり、それがベンヤミンの「自然の顔容には、変移の象形文字で〈歴史〉と記されている」という『ドイツ悲劇の根源』の自然・歴史観から強く影響されていることを示す。

そしてアドルノの歴史哲学においては、「ラディカルな自然史的思惟の元では、あらゆる存在者が瓦礫と破片へと変貌し、一切の存在シャーシが、そこにおいて意味が見出されるような刑場、歴史と自然が絡まりあっている刑場と化す」(三五ページ)ことをみると、ほとんどベンヤミンの文章と見分けがつかないのである。

アドルノベンヤミンからうけた影響があまりに大きいので、この領域でのアドルノの独自性はほとんどないようにみえるが、著者は第八論文では、「ヘーゲルマルクスという大きな思想史的なコンテクストにふたたびベンヤミン(とルカーチ)の視座を組み込むことにアドルノの独自性がみられることを指摘する(二二一ページ)。それだけだろうかとも思うが、ともかくアドルノにおけるベンヤミンの影響は決定的かつ重大なものだったのだ。

二人の思想家が友愛の関係のうちに、これほどの影響を与えあうのは稀なことといってもよいだろう。『ベンヤミンアドルノ往復書簡』は、パサージュ論をめぐるベンヤミンの構想とアドルノの構想を教えてくれるし、一九四〇年二月二九日の記憶と忘却に関する議論はとても刺激的だ。ときにアドルノベンヤミンに代わって思考し、構想を示すこともあるくらいだ。

そして教授職の就任演説「哲学のアクチュアリティ」では、剽窃と受け取られかねないことを語って、ベンヤミンからやんわりと抗議の手紙をもらっているほどなのだ(一九三一年七月一七日付け)。そこにも二人の思想的な結びつきの強さを感じることができる。ときに見分けがつかなくなるくらい、接近する思想もあるのだ。

また第七論文「思考の遅れについて」は、アドルノとホルクハマイーの『啓蒙の弁証法』において、この書物の執筆時にはすでに第三帝国のもとでのユダヤ人の虐殺のニュースが伝えられていたはずであるにもかかわらす(著者は『アレント伝』でそれを裏付ける)、アドルノがこの重大な事件を著作でほとんど触れていないことに注目する。それは「ほとんとスキャンダラスな印象すら与えかねない」(二〇二ページ)ものである。

アウシュヴィッツのあとで詩を書くこと、哲学をすることの野蛮さを指摘したアドルノにおいて、この書物の反ユダヤ主義の分析が「ショアー以前」(同)であることの意味は何か。その思考の「遅れ」の原因は何か。著者は決定的な回答は示していないと思われるだけに(この遅れが指摘されるのは、論文の最後の頃なのだ)、この興味深い問いにどう答えるかは、読者であるぼくたちにまだ残されているとも言えるだろう。

あとドイツ文化におけるハイネの「流暢な言葉のリズムに折り畳まれた屈折を、これだけ執拗に開いてみせる」(一三〇ページ)アドルノの手並みと、それを「マーラー論」という「後史」と結びつけ、「アドルノが滑らかなハイネの詩に暴力的にマーラーを介入させた」(一三八ページ)ふるまいを分析する第五論文「テクストと社会的記憶」には教えられた。

既発表の論文でアドルノをテーマにしたものを集めて一冊の書物としただけに、重複したところが気になるし(関係ないが、フーコーは既発表の論文を編んで本にするということを決してしなかった稀有な人だった。本を出すなら、初めから書き直すのがすきだったのだろう)、著者の第一論文を野村修が「わざわざコピーをとって何人かの同僚に配られたそうだ」などとナイーブに表現しているところをみると、この書物が読者のためよりも、著者のためにあるのではないかと感じたりもするのだが、アドルノベンヤミンの思想的な関係を考えなおすための手掛かりになる好著だと思う。ああ、『ベンヤミンアドルノ往復書簡』をまた読み直したくなった。

【書誌情報】

アドルノの場所

細見和之[著]

みすず書房

■2004.12

■262p ; 20cm

第一論文 アドルノにおける自然と歴史

第二論文 アドルノフッサール論を表象する試み

第三論文 メタクリティークのクリティーク

第四論文 アドルノハイデガー批判、そのいくつかのモティーフについて

第五論文 テクストと社会的記憶

第六論文 社会批判としての社会学

第七論文 思考の「遅れ」について

第八論文 <自然史>の理念再考

第九論文 アドルノの場所

■4-622-07124-X

■定価 3200円


→紀伊國屋書店で購入