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『石毛直道 食の文化を語る』石毛直道(ドメス出版 )

石毛直道 食の文化を語る

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「近代日本の食事の歴史」

 ぼくは紀伊国屋書店で刊行している『スクリプタ』のファストフードの歴史についての連載を毎号楽しみに読んでいる。同時代的に経験している出来事も、遅れたものものもあるが(マクドナルドはすっかり定着してから食べたのだった)、昭和の歴史のひとこまとして記憶に値する出来事だと思う。

 本書は、ファストフードの歴史よりも、日本人の日常の食生活がどのように変動してきたかを考察する興味深い歴史的な考察を含む書物である。「料理は芸術か」とか、「国家の学としての栄養学」などの思想的・哲学的な考察も興味深いが、何よりも一般の庶民の食事の習慣の歴史は、楽しい読み物だった。

 たとえば今では郷土料理というと、地方の名産をメインにした料理のように考えられている。秋田のショッツル鍋、山梨のほうとう鍋のようにである。しかし著者によると、江戸時代には京都、大坂、江戸の三都の「都」の料理のほかは、すべてか「鄙」の料理であり、郷土料理であったという。しかし現代にいたると、日本中が「都」の料理、すなわち都市型の食生活になる。そしてそれぞれの土地の名物が、郷土料理として、いわばマーケティングの材料として登場してくるのである。

 著者は現在では日本列島の全体がひとつの都市のようになったと指摘する。都市は自然が存在しない人工的な環境であり、「そこは食料の生産の場ではなく、食料は都市の外部から供給される。都市はただ人間が集まって住む場ではなく、さまざまな物質と情報の流通の場である」(p.54)。日本列島はひとつの巨大な都市となり、外国から多量の食料を輸入し、「さまざまなメディアから供給される情報に基づいて、食卓を構成する食物とその料理が平均化する現象がつづいている」(同)という。

 だから都市と地方の時間的なずれはあっても、全国的に食生活が変動していったと考えることができるのだろう。著者によると、江戸時代から明治時代をつうじて、庶民の食事は箱膳で行われていたという。箱膳はそれぞれの個人に割り当てられていた。他人の膳では食べないのである。それぞれが膳を前にして正座して、家族が食事をとるスタイルが定着していたという。座る場所も厳しく決められ、家長には特別な料理がつけられて、いわば家父長的で武士的な倫理感のもとで食事がされる。家長は家族に小言を言い、食事中の会話はほぼ禁止される。使用人などは別の間で食事をするなど、身分的な差別が強調された。まあ、田舎でもこうだったとは、とても思えないのだが。

 この長い伝統を崩したのがチャブ台の登場である。「大正時代から昭和の一〇年代になるまでの時期に、チャブ台が全国的に使用されるようになった」(p.130)。やはり座って食べることに違いはないが、家族皆がひとつのチャブ台を囲むようになったのである。チャブ台が狭いので、みんな正座をしなければ食事ができない。そして家長は家族に姿勢を正すことを強く求めるようになる。ただしそれ前ほど厳しくはなく、「会話は厳禁」と「話してよい」がほぼ同程度になるという違いは生まれていた(p.171)。

 このチャブ台をやがて一掃することになるのが、テーブルである。一九五六年に日本住宅公団が「ダイニングキッチンの集合住宅を建設し始める」(p.131)。この団地は、当時はあこがれの的だったらしい。このテーブルでの食事では、家族が会話をすることが奨励され、食事は家族の「だんらん」の時間であるというのが理想になる。しかし実際には話すのは子供たちであり、あるいはテレビをみながら、放映される番組について話すことが、「会話」であり、「団欒」でもあった。

 現代はこのテーブルでの食事が全国的に普及しているが、すでに大都会では「個食」方式が大きな地位を占めるようになっているらしい。各人が個別に、自分の食べたい時間に、食べたいものを食べるのである。たしかに合理的に見えるが、この合理的な食事方法は、食事という家族にとっての最大の「儀式」の場と時間を崩壊させる効果も発揮することになるだろう。

 飲み物の歴史、外国からの料理の取り入れの歴史、発酵した食物の文化圏の違いなど、まだまだ楽しいテーマがたくさいある。読者にはそれぞれに異なる食事の歴史があるはずであり、読んでいるうちに、思いがけずに自分の生活史が、日本の食事の歴史と交叉していることに気付かされることだろう。

【書誌情報】

石毛直道 食の文化を語る

■石毛 直道【著】

■ドメス出版

■2009/04/20

■418p / 19cm / B6判

■ISBN 9784810707151

■定価 3990円

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