『シリーズ心の哲学〈2〉ロボット篇』信原 幸弘【編】(勁草書房)
「認知科学の可能性と行き詰まり」
『心の哲学』のシリーズ二冊目『ロボット篇』である。ただしロボットが直接に登場するのは、フレーム問題を取り上げた第三章「ロボットがフレーム問題に悩まなくなる日」だけであり、認知科学のさまざまなテーマを考察した書物と考えてよい。
序章「認知科学の主な流れ」(信原幸弘)では、これまでの認知科学の主要な理論を紹介する。コンピュータが情報を処理するために心的な表象を必要とし、そうした表象を「構文論的な構造をもつ」(p.4)ものとして処理する「古典主義」的なアプローチ、これを批判して、心は神経のネットワークであると考える「コネクショナリズム」、すべての認知は表象を必要とせず、力学系の観点から考察できると考える「力学系アプローチ」の順である。
第一章「心は(どんな)コンピュータなのか」(戸田山和久)は、この最初の二つの理論体系を考察する。筆者の立場としては、コネクショナリズムを古典主義から擁護し、コネクショナリズムの仮説である「思考の言語」仮説を採用することは「ナンセンス」(p.60)であると主張する。この仮説では古典主義と同じように、言語を表象とみなす考え方に依拠しているが、「自然言語がコミュニケーションの道具であることは、それが表象であることを意味しない」(p.67)のであり、これを除去して理論をもっと首尾一貫したものとすべきだという。ヴィトゲンシュタインの議論を思わせるようなところもあり、面白く読める。
第二章「表象なき認知」(中村雅之)は、第三の力学系のアプローチを擁護する議論である。このアプローチでは、コンピュータが表象を処理すると考えた場合には、きわめて多量の処理が必要となる作業が、力学系の装置を利用することで節約できることを指摘する。その実例がワットの調速機である。対象を認識するために、すべての情報を入手するのではなく、生態の免疫のように、それとぴったりあてはまるものをみつけてやればよいとするカップリングの理論は、ルーマンのシステム論を想起させて、魅力的な考え方である。
第三章の「ロボットがフレーム問題に悩まなくなる日」(柴田正良)は、有名なフレーム問題を紹介しながら、コレクショニズムガこの問題を解決するために「きわめて有望である」(p.155)と指摘する。筆者はフレーム問題で前進するために必要なのは、「感情の機能の徹底的な洗い出し」(p.168)と、「マクロなレベルで捉えられた機能が、実際の中央システムにとっていかなる作用となって実現されるのか、という具体的なメカニズムの探求」(同)であると指摘する。ロボット工学が発展すれば、フレーム問題はいつか冗談のように考えられるのかもしれない。
第四章の「覚知する心」(染谷昌義)は、ギブソンが開発した生態学的な認知の理論を紹介しながら、道具には「先人たちの知的成果が織り込まており、過去に達成された知性を」使用者に授けるという意味で、「潜在的な知性」(p.194)と考える理論を紹介する。道具は人間の理性が物となったものだというのはヘーゲルの卓見であり、これはまっとうな考え方と言うべきだろう。身体もまた知性の塊であるのだ。
第五章「存在の具体性」(河野哲也)も同じように道具を「変形する身体の延長としてとらえる」(p.231)ことから、世界内存在としての心について考察する。これについて手がかりとなるのはメルロ=ポンティの身体論であり、この理論が認知科学ときわめて近い知見をそなえていることは、すでに多くの論者によって確認されている。それぞれの論文は、認知科学の可能性と行き詰まりをまざまざと示していて興味深い。
【書誌情報】
■シリーズ心の哲学〈2〉ロボット篇
■信原 幸弘【編】
■勁草書房
■2004/07/20
■280,8p / 19cm / B6判
■ISBN 9784326199259
■定価 2940円
□目次
序論 認知哲学のおもな流れ(信原幸弘)
1 心はコンピュータ──古典主義
2 古典主義への批判
3 心は神経ネットワーク──コネクショニズム
4 心は脳を超えて──環境主義
第一章 心は(どんな)コンピュータなのか──古典的計算主義 VS.コネクショニズム(戸田山和久)
1 計算主義とは何か、それは何を問題にしているのか
2 古典的計算主義の認知モデル
3 認知研究の三つのレベル
4 コネクショニズムの認知モデル
5 古典主義者VS.コネクショニスト
6 コネクショニズムと思考の言語
第二章 表象なき認知(中村雅之)
1 表象と計算に伴う問題
2 力学系的認知観
3 力学系の反表象主義
4 折衷論
5 折衷論への批判
6 表象なしでどうやるか
7 結論
第三章 ロボットがフレーム問題に悩まなくなる日(柴田正良)
1 ロボットは苦悩する(あるいはフレーム問題)
2 精確な規則にしたがった記号操作(あるいは古典的計算主義)
3 すべての表象が同時に重なり合って(あるいはコネクショニズム)
4 俺たちは天使じゃない(あるいは自然知性)
第四章 拡張する心──環境─内─存在としての認知活動(染谷昌義)
1 計算の一部は頭の外で行われる
2 認知活動における道具の役割
3 環境操作としての認知活動──認識的行為
4 構造化された環境
5 環境を構造化する道具としての言語──問題変換の集団的達成
6 三つの問題
第五章 存在の具体性──世界内存在と認知(河野哲也)
1 はじめに──世界内存在としての心
2 材質・サイズ・モルフォロジー
3 道具のなかの心
4 心の立脚性
5 巨大な身体としての習慣
6 ユニヴァーサル・デザインの方へ
7 心のカテゴリー
8 心に閉じ込めること、心を閉じ込めること
9 おわりに──存在の具体性
読書案内(信原幸弘)
あとがき
事項索引
人名索引