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『自然と日本人 宮本常一著作集 43』宮本常一(未來社)

自然と日本人 宮本常一著作集 43

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「風景の歴史」

 本書を読んでつくづくと関心するのは、日本の風景を構成している植物にも長い歴史があるということだ。山歩きをしていて里山におりてくると、杉林にであうことが多い。それまでの明るい道とは一変して、陽の指さないうっそうとした杉林には、他に植物も生えず、薄暗い道である。植林のために杉ばかり植えるからと思っていたが、宮本によるとたんに営利的な植林のためではなく、焼き畑以来の自然な流れだという。

 関東や近畿では広く焼き畑経営が行われ、そこであわ、ヒエ、ダイズなどがつくられ、一〇年ほど利用すると山に返され、また数年後になぎ倒されて火入れされる(p.61)。やがて焼き畑が禁止されて杉が植えられる。あるいは別の系列では、山焼き-アワ・ダイズ-コンニャク-ミツマタ-杉という順序を追って、杉山になっていく(p.63)。杉は焼き畑の初年度に植え、その間を利用して作物を作る。そして杉が大きくなると、作物は放棄する。杉の樹間で作物の作れるのは一〇年内外だからだという。

 焼き畑と杉の植林は平行して行われていたということだ。そして杉は建築用に利用されたわけだ。しかしコンクリートの普及とともに、杉の価値が低下してくる。杉の場合には成長して採算がとれるようになるまでに長い期間が必要であるために、宮本は広葉樹を植えることを提案している。二〇年と間隔が短いので、経営的に有利だからだ。

 あるいは人々の暮らしもまた、植物と深い関係にある。奈良時代の国家の建築事業は寺院の建立である。そのために木工が非常に盛んになる。寺で利用する細工物もこれらの人々は手掛ける。平安時代になって寺院の建立が下火になると、これらの人々は全国に散らばって木器を作るようになる。ロクロを回して簡単にできる木の椀、木の皿、木の盆などである。これが木地屋である。山の中で細工物を作りながら、やはり焼き畑をする。

 鎌倉時代になると、木地物に漆がかかり始める。器が丈夫になるからである。それに「漆ぬりの木器というものは口や舌に当たりがよいし、使いやすく長持ちするということで民間に普及してゆく」(p.78)。江戸時代になると朝鮮出兵に伴って陶工が多数渡来し、陶器が普及する。木地屋は少なくなるが、東北地方ではまだ多く、温泉場で働いて、こけしなどをついでに作っている。

 こうして明治まで東日本では木地屋が活発に活動していたが、東北本線が開通すると、安価な瀬戸物が多量に導入される。木地屋は木の器では生計が立たなくなるが、紡績工業が盛んになり、紡ぐスピンの需要が増大する。木地屋はロクロでこれを作る。やがてプラスチックのスピンが登場すると、木地屋は仕方なくこけしを専門にするようになる。東北のこけしはこうして名物になっていったわけだ。「このようにして山中で焼き畑をやりながら椀などの木地物をロクロで挽いていた人たちも、その後いろいろ変転を重ねたあげく山を降り、あるいは百姓になり、従って山の中のそうした集落もとうとう消えてしまった」(p.79)ということになる。

 鋸の発達が、材木として利用できる樹木の種類を変え、人々の生活を変えていったこと、せと瀬戸内海の「骸骨島」と呼ばれたはげ島が、蜜柑の栽培で緑豊かな島に一変したこと、桃は古くから宮廷で桃酒を飲んでいたために、桃の節句の雛祭りで甘酒を登場すること、宮島の杓子作りの歴史など、目を開かれることがとても多い書物である。また「風景は作られる」ことを風景を作ってゆかねばならないことを教えられる書物である。あまり思いつかないが、風景にも長い歴史があるのである。

【書誌情報】

■自然と日本人 宮本常一著作集 43

宮本常一

■未來社

■2003/05

■298p / 19cm / B6判

■ISBN 9784624924430

■定価 2940円

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