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『危機の女王 エリザベスⅡ世』黒岩徹(新潮社)

危機の女王 エリザベスⅡ世

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「英女王を知らずして英国社会は語れない」

 長く毎日新聞のロンドン特派員や欧州総局長として英国社会を観察してきた著者によるエリザベス女王論が登場した(黒岩徹『危機の女王 エリザベスⅡ世』新潮選書、2013年)。著者はすでに英国に関係する多数の著作を著しているが、意外にも、エリザベス女王について詳しく書いたのは本書が初めてではないだろうか。

 タイトルにある「危機の女王」が本書全体のモチーフである。1936年12月、伯父のエドワード8世がシンプソン夫人との「愛を貫く」ために退位宣言に署名するという英王室にとっては仰天するような「事件」が勃発した。伯父の退位によって弟のヨーク公(エリザベスⅡ世の父)がジョージ6世として即位したが、ヨーク公は本来なら国王にはならなかったはずなので、その準備が全くできていなかった。しかし、海軍時代の同僚で親友でもあったマウントバッテンに次のように諭されたという。「君は間違っている。海軍で訓練を受けるほど国王になるために最適な準備はないのだよ」と(同書、22ページ)。そういえば、ヨーク公の父ジョージ5世も、兄の死で急に王位を継いだのだが、そのときはマウントバッテンの父がジョージ5世に同じアドバイスをしたのだった。だが、このような王室の危機を目の当たりにした経験は、エリザベス王女(のちのエリザベスⅡ世)の深層心理に後々まで影響を及ぼしていく。

 1952年2月6日、もともと体が丈夫ではなかった父のジョージ6世が心臓発作で亡くなり、エリザベス王女がエリザベスⅡ世として即位した。将来女王となるための「帝王学」の教育は受けていたが、まだ25歳の女性である。ときの首相チャーチルは当初若干の不安を抱いていたようだ。だが、「若い女王を教育するのは自分の役割だ」と決意した。チャーチルにとっては孫のような歳の女王だが、エリザベスⅡ世の呑み込みの早さに驚き、次第に女王と会うのを楽しみにするようになったという(同書、72-73ページ参照)。女王にとって、チャーチルは政治の師匠であった。

 エリザベスⅡ世は、王女時代は快活な女性だったが、女王となってからは、「ほがらかな表情や軽快な笑みが顔から消えた」という(同書、75ページ)。それだけ女王としての重責を自覚していた証拠だろう。それゆえ、妹のマーガレット王女が離婚歴のあるタウンゼンド大佐と恋に落ちたときには、妹の幸せを願いながらも、英王室の権威を守る行動をとった(結局、二人は結婚には至らなかった)。エリザベスの脳裏には、伯父が退位宣言をしたときの英王室の危機感が鮮明に刻まれていたのである。

 後年、「おとぎ話」(カンタベリー大主教)として始まり、「ギリシャ悲劇」(チャールズ皇太子)として終わったといわれる、皇太子チャールズとダイアナ妃との一連の物語が英王室に大きな打撃を与えたが、エリザベスⅡ世はこのときも従来と同じ姿勢で臨むつもりだった。だが、地雷撤去活動支援やエイズ防止などの慈善活動で国民に人気のあるダイアナがマスコミを味方につけたために、彼女がパリで愛人とともに事故死したあとの判断に狂いが生じた。英国民は、ダイアナの死のあとバルモラル城に籠って出ようとしなかったことに対して怒った。世論に敏感なブレア首相が渋る女王を説得し、ロンドンへの帰還と半旗掲揚に至るまで五日間の時間が経過していた。ダイアナの死の直後の英国民の反応を「集団ヒステリー」として分析する見解もあるようだが(同書、234ページ参照)、女王はこのときの経験に学んで、チャールズ皇太子のカミラさんとの再婚を許すまで5年間慎重に世論の動向を気にしていたという。

 エリザベスⅡ世は、大資産家ではあるが(もっとも、売ることができない資産をたくさん持っているひとを「お金持ち」と呼べるかどうかは微妙だが)、無駄や浪費を嫌い、歴史上悪名の高いマリー・アントワネットのように服装に凝ることもない。「着る服は流行のファッションに左右されることなく、女王の威厳が保たれるような、やや保守的なデザイン」(同書、136ページ)が基本だという。

 新聞記者出身だけに著者は綿密な取材に基づいて本を書いているが、残念ながら、エリザベスⅡ世本人に直接取材することはできない。それにしては英王室内の事情を知り過ぎていると思う読者もいるかもしれないが、「あとがき」を読むと、アン王女が来日したときのインタビューから多くの貴重な情報を得たことが明かされている。

 「女王という人物を知らずして、英国社会を語れない」(同書、245ページ)という著者のメッセージに関心のある方々には興味深く読める一冊であるに違いない。

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