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『PiNKS』倉金篤史(徳間書店)

PiNKS

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「“異床異夢”な日本の男女に対する問題提起作」

 エロ本がなぜか落ちている、という光景を見なくなって久しい。

 評者の実家近くには大学があり、その構内の雑木林には、きまってエロ本が捨てられていたのを思い出す。見つけた所で、持って帰るにも帰れず、またそこで描かれていることが何を意味しているのかも十分に理解できなかった小学生の頃・・・、世の男性たちならば誰もが思いだすような光景を描いたのが本作である。

 しかしながら、題材はノスタルジックであっても、提起している問題点は、むしろ優れて現代的である。

 10年ほど前、社会学者の上野千鶴子は、セックスレスに見られる男女間のディスコミュニケーションをとらえて「同床異夢」と評したことがある(『データブックNHK日本人の性行動・性意識』)。その後、インターネットの普及も進み、男女それぞれに、性的なコンテンツを個人的に享受することが当たり前の時代となった。

 本作は、そんな「異床異夢」なまでにディスコミュニケーション化が進んだ男女関係に対する問題提起を行った作品といえる。

 したがって、主人公の男子小学生(弥彦)のあふれ出る性欲をそのままに描き出した作品とはなっていない。むしろそれとは対照的なまでに、性を神聖視して捉えようとする、女子小学生(赤城さん)が出てくることで、本作は面白くなっている。それもこの思惑の異なる二人が、衝突を繰り広げながらも、一つの目標に向かってコミュニケーションを続けていくことに主眼が置かれている。

 それはやはり、個人化の進んだインターネット時代では、なかなかなしえないことなのだろう。捨てられているかもしれないし、あるいはないかもしれない、そんなエロ本を毎日のように探し求めるという不自由な状況でこそ、この二人のコミュニケーションは深まっていく。また、そこに複数の大人の目線も加わることで、本作は奥行きを増すことにも成功している。

 作者に言うところによれば、こうした作中の登場人物は、すべて自分の分身なのだという。評者は(正確には評者の指導する学生を通して)幸運にして、たまたま倉金氏の創作経緯をお聞きする機会に恵まれたのだが、そうした自己の中にある、多元的で割り切れない部分を、うまくまとめ上げている点も、本作の特徴と言えるだろう。

 そのように、大人になっても、子どもの気持ちを忘れずにいられる人間でありたいと評者自身も思うし、そのほうが自分や自分が発する言葉や書いたものに、奥行きが出せるようにも思う。

 本作には、長編連載の様な伏線の張り方をしたがために、それが十分に回収しきれないまま残っているところがあるのも事実だが(果たして本屋のお姉さんは何者であったのか、など)、そうした点も含めて、若き俊英の瑞々しき感性が味わえる本作を高く評したいと思う。


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