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『ケネーからスラッファへ―忘れえぬ経済学者たち』菱山泉(名古屋大学出版会)

ケネーからスラッファへ―忘れえぬ経済学者たち

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「経済学における客観主義―スラッファ没後30年」

 今年は、イタリア出身の経済学者ピエロ・スラッファ(1898-1983)没後30年の年でもある。彼は若き日にイギリスの経済学界を揺るがした論文「競争的条件の下での収穫の法則」(1926年)で世界的に有名になったが、イギリスのケンブリッジ大学で研究生活を送るようになってからは、ライフワーク『商品による商品の生産』(1960年)の完成まで長い年月をかけて思索を続けた稀有のひとである。本書(菱山泉著『ケネーからスラッファへ』名古屋大学出版会、1990年)は、わが国におけるスラッファ研究の権威者であった菱山泉(1923-2007)がスラッファを中心とする経済学史上の第一級の理論家を取り上げながら、経済学における客観主義の意義を平易に語った名著である。

 「客観主義」というからには「主観主義」があるはずだが、本書では、有名なケインズが『一般理論』のなかで批判の対象にした「新古典派」(ケインズは「古典派」という言葉を使ったが)、または「正統派均衡理論」がまさに方法論的個人主義と主観主義に立っていたと捉えられている。具体的には、ヒックスの『価値と資本』に出てくる「消費者」、すなわち、所与の貨幣所得と選好体系をもった消費者がどのような行動をとれば効用を最大化することができるかという問題を立てて消費者選択の理論を構築しようとする方法論のことだ(同書、140-141ページ参照)。新古典派では、消費者の効用最大化仮説から通常右下がりの需要曲線を導出し、企業の利潤最大化仮説から通常右上がりの供給曲線を導出することによって、両曲線の交点で均衡価格と均衡数量が決定されるという思考法が支配的である。

 ところが、スラッファ理論においては、一言でいえば、価格は経済体系の「生産方法」(「投入産出構造」という言葉も使われているが)に規定されて決まる。留意すべきは、ここで「価格」というのは、需給状況でつねに上下する「市場価格」ではなく、スミスやリカードなら「自然価格」、マルクスなら「生産価格」と呼んだものに相当することである。最も基本的なモデルでは、すべての産業で「均等利潤率」が成立していると仮定されているが、これは最大の利潤を求めて資本が各資本の間を自由に出入りするような「競争」プロセスを通じて「均等な」利潤率が成立しているということである。それゆえ、スラッファの「価格」は、市場価格が究極的にそこに向かって収束していくという意味でスミスのいう「中心価格」でもある。

 本書は、スラッファがこのような客観主義的価格理論を提示するに至った思索のプロセスを、ケネーの再生産論、リカードの「不変の価値尺度」問題、マーシャルの「需要と供給の均衡」という着想への疑問など、学説史上の話題を縦横に駆使しながら興味深く語っている。現在手に入りうる最も優れたスラッファ入門書と言ってよい。

「・・・・・スラッファの価格が、考察されている体系のテクノロジーと「剰余」の比例的分配とに基づいて決定するということは、それが、通常のミクロ理論でのように、個人の行動に依存するものではないという性質をもっている。新古典派理論にもとづく分析的構想からは、まったく予想もつかないかもしれないが、個々人の期待や行動に少しも基づかない、純粋に客観的な経済理論も存在するのだ。」(同書、187-188ページ)

 スラッファの価格理論が「個々人の期待や行動」に全く基づかないという意味で「客観主義的」だとすれば、ケインズ革命の遺産であるマクロの所得決定理論も「個々人の期待や行動に基づかない」客観主義的なものである。ケインズ理論では、総投資Iが与えられれば、それに等しい総貯蓄Sを生み出すところに総所得Yが決まるからである。この点、著者は、「ともあれ、安定的な消費関数が与えられると、投資がΔIだけ増加すると、これに等しい貯蓄ΔSを生み出すように、ΔYをもたらす。この場合の乗数とは、「1-限界消費性向」の逆数、すなわち限界貯蓄性向の逆数であることは、よく知られている。要するに、所与の消費性向の下での投資増加ΔIと、それに対応して生じる所得増加ΔYとの関係は、ΔIをもたらした個々の企業者の主観的な動機や思惑がいかなるものであれ、それらとは独立の、客観的かつ不可避的な因果的関係であることを強調しておきたい」と的確に述べている(同書、163ページ)。

 もちろん、ケインズとスラッファでは問題意識や理論構造に大きな違いがあることも事実だが、所得決定(ケインズ)や価格決定(スラッファ)の問題に関して「客観主義」という共通項があることは極めて興味深い。

 久しぶりに本書を読み返しながら、私は、研究者の一生の仕事を決定づける「偶然」と「必然」の両方を痛感した。若い頃、経済社会学に関心をもっていた著者に対して経済学の古典的名著を読む意義を静かに諭してくれた恩師の言葉(「偶然」)と、スラッファに導かれるように古典派やマーシャルを初めとするケンブリッジ学派などの研究に没頭するようになった日々(「必然」)――すべての研究者がこのような道を歩むとは限らないが、著者の場合、「偶然」と「必然」が見事なまでにミックスし、ついには研究者として大輪の花を咲かせた好例ではないだろうか。スラッファ没後30年という節目の年でもあり、本書を若い学生や研究者たちにすすめる所以である。

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