書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『世界史の中の日本国憲法』佐藤幸治(左右社)

世界史の中の日本国憲法

→紀伊國屋ウェブストアで購入

立憲主義の本質は政治に対する法的統制である」

 本書(佐藤幸治著『世界史の中の日本国憲法』左右社、2015年)のメッセージは、一言でいえば、上のタイトル「立憲主義の本質は政治に対する法的統制である」ということに尽きる。集団的自衛権の行使を容認する安倍内閣閣議決定以来、日本国憲法への関心が近年これほど高まった時期はないように思われるが、本書は、憲法学の大家である佐藤幸治氏が、2015年6月6日、東京大学でおこなわれたシンポジウム「立憲主義の危機」(「立憲デモクラシーの会」主催)における講演用原稿に手を入れて急遽出版された、いわば警世の書である。

 テーマは、「立憲主義に関する人類の長い格闘の歴史を踏まえながら、終戦70年を迎えて今われわれ日本国民がおかれている状況の中で、「日本国憲法」をどう考えるべきか」という壮大なものである(同書、006ページ)。著者は、書名に違うことなく、古典的立憲主義から近代立憲主義への流れを、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツの例を豊富に挙げながら説き進めるが、つねに念頭に置いているのは次のような視点である。すなわち、

「人類が恣意的支配を避けようと自覚し、それぞれの時代環境において試行錯誤を重ねながら真剣に取り組んできた歴史的経験から、現在われわれが重要なものとして何を汲み取らなければならないか」

ということである(同書、031-032ページ)。

 この関連で留意すべきは、第二次世界大戦ファシズムによって立憲主義が骨抜きにされた日独伊の三国が「人権」観念の再生復活をどのように再構築していくのかという課題を突きつけられたという指摘である(同書、054-055ページ)。もっとも、著者によれば、人間が生まれながらに一定の権利を当然有するという人権(自然権)概念は、19世紀になると、権利は人間の定める法の被造物であり、国家なしに法は存在しないという「法実証主義的法観念・権利観念」の挑戦を受け、そのような状態が20世紀半ばまで続いていたのだが(アメリカもまた、人種差別問題への取り組みを通じて「人権」観念の再生復活という問題の解決を迫られたという指摘も重要である。同書、055ページ参照)、日本国憲法に関していうと、「基本的人権」なるものがすでにあるという考えは11条に、その根拠は97条に、そしてその内実は13条に示されているという(同書、060-061ページ)。

 少しでも歴史に関心のある読者なら、明治憲法やワイマール憲法が、「政府の安定性・活動力の確保」や「権力の行き過ぎ・暴走に対する抑制」の両面で欠陥をもっていたという指摘(同書、059ページ)に異論はないだろうが、戦後各国が立法・行政に対する統制を含めて「司法権」を著しく強化していくプロセスまでは一般には知られていないので、とても参考になる。

 講演の記録だけに文章も論旨も明快なので、本書を通読して、「国家の繁栄の持続にとって、法の支配、人間(個人)の尊厳という普遍的価値を含む憲法立憲主義)の保持がいかに重要であるか」(同書、085ページ)という著者の主張を捉え損なうひとは稀だろう。だが、逆にいえば、一見「当たり前」に思えることを改めて詳述しなければならないほど、立憲主義が今まさに脅威にさらされている証左かもしれない。


→紀伊國屋ウェブストアで購入