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『新宿八犬伝 (完本)』川村毅(未来社)

新宿八犬伝 (完本)

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「<劇評家の作業日誌>(52)」

 伝説の『新宿八犬伝』が完結した。


 1980年代の小劇場を賑わした川村毅率いる第三エロチカの代表作が、この秋、第五巻「犬街の夜」をもって、シリーズの幕を下ろしたのだ。同時に、80年に創設された第三エロチカも三十周年を期して解散した。

1985年6月に発表された『新宿八犬伝 第一巻 犬の誕生』は、けたたましく幕を上げた。風俗の最先端に解き放たれた八犬士は、劇作家の筆に乗って所狭しと走り回った。それは若い勢いのある集団が怖いもの知らずに絶頂を登りつめる瞬間でもあった。この作で劇作家川村毅は若干26歳の若さで第三十回岸田国士戯曲賞を受賞した。

このシリーズはその年の秋に第二巻「ベルリンの秋」が上演されたものの、続く第三巻「洪水の前」、第四巻「華麗なる憂国」は1991年まで待たねばならなかった。さらにその後、連作は封印され、このほど19年ぶりに第五巻が書き下ろされたのだ。初演から実に25年。これを機に、未来社からすでに刊行されていた2冊の『新宿八犬伝』を含む[完本]として、全五巻が上梓された。

1980年代とは東京を中心に生まれた小劇場演劇が隆盛を極めた10年でもあった。好景気に支えられていたことは確かだが、86年に始まるバブル前夜でも、向こう見ずで野放図なエネルギーは健在だった。とはいえ、この時代が明るい希望に溢れた未来に祝福されていたわけではない。むしろ虚無的な空気が支配し、漠たる閉塞感が押し寄せつつあったことは確かである。

そんななかで、若い世代を中心とする小劇場は、実に多彩な舞台を生み出した。とりわけ川村毅と第三エロチカの激しく攻撃性に満ちた舞台は、80年代の一方の極を代表するものであった。

なぜ新宿だったのか。新宿は1960年代以降、日本の文化や芸術の発信地であり続けた。反抗的な若者がいつしか群れ集い、劇場やライブハウス、カフェなどで新しい文化が日々胎動していた。演劇においても新宿は特別の街だった。67年に新宿花園神社に立てられた紅テントは唐十郎率いる状況劇場のシンボルであったし、68年から73年までは、アートシアター新宿文化を拠点に、清水邦夫蜷川幸雄の現代人劇場―櫻社が並走していた。70年代の後半になると、つかこうへいの人気に湧いた紀伊国屋ホールが「演劇の殿堂」となり、80年代以降は若者演劇のメッカとなった。硬軟取り混ぜた多様性が、この街から発信されていった。新宿とは若者が集う根っこがすでに十分養生していたのだ。

川村毅は前世代の演劇に大きな影響を受けながら、80年代を背景に彗星のように登場した。彼にあって歌舞伎町とは、清濁あわせ持つ、欲望と熱気が渦巻く世界そのものだった。その変貌は日本および日本人を切り取る格好の装置でもあったろう。

第一巻「犬の誕生」は、劇作家川村毅出世作であるとともに、80年代を代表する傑作である。この時代の勢いや元気のよさ、さらに閉塞感に向かう時代のすべてが書きこまれているといっても過言ではない。

滝沢馬琴の『南総里実八犬伝』を下敷きに、八犬士の若者たちが新宿カブキ町に放たれる。上演されたアシベホールは、実際、歌舞伎町にあったライブハウスである。(そして第三エロチカの活動を締めくくった第五巻が上演されたのは、同じ歌舞伎町のFACEというイベントスペースだった。)

ホストクラブや風俗で働く男女の無節操な生態を描きながら、かつてこの街で殺された女性の産み落とした化身ともいうべき「犬」が蘇る。そこに暗躍するモモコやルドルフといった性別を超えた怪物的な存在が絡んでくる。ここに謎の失踪を遂げた夫を探す、若く美しい人妻がマーロウ探偵に依頼に来る。こうして、街のストリートに伏した物語が浮上するのだ。物語を操っているのは、「影の滝沢馬琴」。かくして、作者の手によって邪悪なキャラクターとして変貌をとげた登場人物と、それに抗い、作者に反乱を起こすもう一群の登場人物たちの対決が開始される。

これはある意味で、「作者殺し」を画策したメタドラマでもあり、舞台という虚構のメカニズムを扱った演劇論でもあるだろう。川村のなかには大きな物語を書きたいという作家の欲望がある。だが当時は、「大きな物語」が壊れて、「小さな断片」と化したと言われた「ポストモダン思想」が隆盛していた時代だった。こうした趨勢を横目で見ながら、川村は「物語を懐疑する物語作家」として自分を位置付けようとした。が、やはり彼には物語を好む作家であり続けた。その結果、荒々しい登場人物の猥雑な行動とは裏腹に、ドラマはポストモダン的な知を内臓しながら展開していくのである。

「筆が走る」影の作者である馬琴のそれは、まさに劇作家川村毅そのものでもあったろう。劇作家によって書かれた言葉はそのまま役者たちに息を吹き込まれ、舞台に真っ直ぐ立ち上がっていった。若い川村は、まさに「筆が走る」勢いそのものだったに違いない。次々と脳裏に浮かぶアイデアは、馬琴よろしく言葉に書き取られ、目の前の役者たちに受肉されていく。こんな幸福な関係が織り成す舞台はそう滅多に立ち会えるものではない。岸田戯曲賞の審査がわずか30分で終わったというエピソードはそれを物語っている。こんな恐ろしい劇作家が登場したことに、多くの演劇関係者は驚きで目を見張ったのだ。

今、読み返してみると、この作品は80年代という空気を実によく表わしていることが分かる。例えば、大きな虚構というものが卑小な現実を覆い尽くしてねじ伏せ、破天荒なスペクタクルは、演劇のもつダイナミズムをしたたかに体現していた。それを支える観客の熱気。川村毅という劇作家は、世界や時代など、大きな構造を描くことを得意とする。弁証法的な対話ともいうべき畳み込むセリフの応酬は、彼の面目躍如である。

第二巻の「ベルリンの秋」では、歴史の謎と物語の闇が対立する。超能力をもった八犬士は、独自のパワーでもってベルリンの壁をカブキ町に出現させる。この荒唐無稽な想像力は、フィクションの力を信じるからこそ可能だったのであり、ヒトラーゲッベルスなど実在の人物が登場し、それが虚構の物語と交差するという発想も豪快だ。しかもこの劇が、ベルリンの壁が崩壊する以前に書かれており、時代を予見した感があることも驚きを覚える。

これらの舞台を見れば、90年代以降の演劇がその対極の方向にむかっていったことがよく分かる。バブルが崩壊し、不況感が急速に増してくるにつれて、フィクションのパワーは減じていった。

 たとえば90年代の第三巻、第四巻になってくると、微妙に作風が変わってくる。上演された700人収容のシアターアプルの劇場もいささか広すぎて、空虚感が漂いはじめたことも記憶している。現実を上回る虚構は、非現実感が覆い、元気だった八犬士も勢いを持続することが難しくなったことを肌で感じた。また役者陣もこの数年で大幅に入れ替わり、存在感が希薄になったことも否めない。たった6年が経過しただけで、集団は一変し、バブル後の日本は一気に衰退を迎えた。

 第三巻では、東京都庁が西新宿に出来たことから、カブキ町と都庁が対照される。怪物的だった登場人物の存在感はすっかり姿を消し、俗物的な等身大の人物が多数登場するようになった。第四巻になると、新宿はアジア人の横行する街と化し、多国籍が入り混じる曼荼羅模様を呈する。主人公役の騒太郎は、自分の存在が分からない、まことに頼りなくあいまいな日本人の典型だ。街の子らを主人公とする劇らしく、時代の世相が否応なく劇中人物に投影されていく。若者像も変わっていった。

そして最終巻である第五巻はどうか。80年代のカブキ町が過去の遺物から取り出され、あたかも年代記を記すように、現在に書き付けられる。劇中のセリフにもあるように、一種の「玉砕」覚悟の舞台である。時代が縮こまり、小さな自分を保守する傾向が強まるにつれ、これに一矢報いられないか。そんな思いが詰まった作品だ。

19年封印した理由は何なのか。川村は、時代が動く時に、この作品を書き継ごうと狙っていたであろう。しかしシニシズムに覆われた90年代以降、エネルギーを真っ正面からぶつけることは叶わなくなった。すでに現実と虚構という二項対立は成立しようもない。表と裏のさらなる闇を掴みださないと太刀打ちできない事態が到来している。ドラマが困難になった時代でもある。

もう一つの理由は、『新宿八犬伝』を上演するには、多彩な役者群と強固な集団性を必須としたからだろう。第一巻を担った女優、深浦加奈子は昨年逝った。初期の劇団を支えた俳優たちも大半は去った。誕生譚で開始された『新宿八犬伝』は決して川村毅だけの作品ではなかった。無骨だが魅力ある役者を得て、はじめて作者は筆を揮えた。それはプロともアマともつかぬあいまい領域で成立していた小集団の誕生譚であり、精一杯の力走であった。80年代の小劇場とは、そうした熱気が確実に存在した絶頂期だったのである。

そのことの可能性と豊かさを、25年を経て、今まざまざと思い起こされるのである。

 


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