『恋とセックスで幸せになる秘密』二村ヒトシ (イースト・プレス)
「恋のルール・新しいルール」
どうしよう。何から話せばいいかわからない。読み終わったあと、猛烈に「この本について語りたい!」と思い立ってパソコンを立ち上げたものの、わたしの言葉ではこの本に追いつかないような気がしてぼんやりしてしまう。どういうことだろう。何を戸惑っているんだ、わたし。とりあえずもう一度読み返してみよう、二村ヒトシ著『恋とセックスで幸せになる秘密』を…。
あなたは「わたしのことを好きになってくれない人を好きになっちゃう」とか「向こうから好きだって言ってくれる人は、なぜか、好きになれない」ことが多くありませんか? 「私は自分がキライ……。でも、そんな自分が大好き」って思うこと、ありませんか?(4頁)
男性から「愛されよう」と無理してやっていることが、結果的に「その男性から大切にされない」ことにつながり、「軽くあつかわれる」ように自分からしむけていることになっているのです(6頁)
ズギューン!(心を撃ち抜かれる音)——はっきりいって、これ、ぜんぶ私のことではないですか。そう、わたしは少女マンガ脳を持っているためか、恋愛に対する理想と妄想がひどい(少女マンガが悪いわけではなく、わたしがアホなのです)。それが原因かはしらないが、わたしはこれまでいわゆる「ダメンズ」と(私が勝手に認定した)人々に、何度となくひどい目に遭ってきたという自覚がある(むこうもわたしにひどい目に遭わされたと思っている可能性大だが)。いまは落ち着いた生活を送っているが、数年前はドロドロの離婚劇を繰り広げており、ようやく離婚が成立したとき、その話を聞いたとある知り合いの編集者がこう言ったのを忘れない。「大串さんって要領のいい人だと思っていましたが、ダメンズだったんですね…」。
でもいまふと思う。相手の男性(たち)がダメだったのではなく、自分も含めてダメダメだったのではないかと。自分のダメンズぶりを笑い飛ばすかわりに、自分を見つめてこなかったわたし。…そうか、そういうことか。恋だの愛だの、人とつきあうだとかセックスだとかにまつわる事柄からはじまって、自分がいったいどんな人間なのかとかそういうことまで、まとめて全部自分の一番恥ずかしい履歴を突き付けられてしまうから、この本を語りたいのに言葉がみつからないのかもしれない。
だがここで本書の紹介をあきらめるわけにはいかない。だって、この本を読んだら自分を振り返る人たちが、男女を問わずきっと大勢いると思うから。
二村ヒトシ氏といえば、言わずと知れたAV監督・AV男優。わたしも彼が監督した作品のDVDを何本か持っている。
AV監督が、女性向けの恋愛指南本を? そりゃさぞかしエロいセックスの仕方とか男のこましかたを教えてくれるんでしょうね——などと思ってはいけない。本書は、基本的になぜか恋愛に失敗してばかりの女性に語りかける本だが、最終的には万人に向けて書かれた本になっている。それは、二村氏の前著『すべてはモテるためである』(KKベストセラーズ、後に『モテるための哲学』と改題、幻冬舎文庫)が、一見男性向けに書かれてはいたものの、やはり自分を知るという意味では万人向けだったのと共通している。
もちろんタイトルのとおり恋の話もセックスの話も出てくるが、本書の主眼は恋やセックスにいたるまでの「自分の作り方」にこそあると言っていい。恋やセックスの土台になるべき「自分」を理解し、「自分」を知ること——それは簡単なようで難しい。それは女であろうと男であろうと同じ事だ。だから誰が読んでもいいし、誰に勧めてもいい内容になっている(ただし、女性であるがゆえにもたらされる問題点についても丁寧に言及されている)。
そもそも「恋愛」は日常に溢れすぎている。ラブロマンスはテレビドラマや映画、小説に溢れているし、ファッション雑誌を見れば「モテ系メイク」だとか「愛されコーデ」などといった見出しが目につくし、星占いをみれば必ず恋愛運が載っている。「恋愛」はしててあたりまえ、「恋をすれば綺麗になれる」などなど、(基本的に異性愛の)恋愛へのプレッシャーが日々われわれの上にのしかかっている。
だが、「愛し方」について誰も何も語っていない、ということに気づいた二村氏は、まず「恋愛」とは何か、という問いについて明快な回答を用意することから始めている。
恋愛とは文字通り「恋」と「愛」という2つの要素から、できています。ところが、それは「恋愛」というコインの表に「恋」、裏に「愛」と書いてあるようなもの。その2つはまったく逆の「心の動き」なのです。(29頁)
二村氏は「恋」を「欲望」と結びつけ、「愛する」ことを「相手を認める」ことだと定義づける。ただ、それだけなのだと。愛のもつ容認する力——これは他者を認めることだけではない。自分を認めること、すなわち自己肯定(ありのままを認めること)に結びついており、すべては自分を認めることの重要性を本書は一貫して強調している。自己肯定とは「自分への愛」であり、そのままの自分を受け入れること、無理をしなくてもいいことを認めること。対して自分はこうありたい、こうあるべきだ、ああなりたいといった「ナルシシズム」的な意味合いでの「自分が好き」は、「自分への恋(欲望)」でしかないと二村氏は言う。したがって「自分が好きなのに、同時に、すごく自分が嫌い」という一見矛盾した気持ちは、まったく矛盾していない。
あなたが「自分を好き」なのはナルシシズムの意味で好きなのだし、「自分を嫌い」なのは自己肯定できていないという意味でキライなのです。
そして(例外もありますが)たいてい「自己肯定をしていない人ほど、ナルシシズムが強い」のです。(39頁)
ではなぜ、ナルシシズムが強いと幸せな恋愛ができないのか。
この問いに対する答えも明快だ。それは「自己肯定していない人は、恋愛の相手を使って『自分の心の穴』を埋めようとする」からに他ならない。お互いを見ないまま、自分の事も見ないまま、ただ相手を使って穴だけを埋めようとするだけでは、お互いが「インチキな自己肯定」に走ってしまう——これがつらい不幸な恋愛の原因となっている。
二村氏の言葉はわかりやすく、あたたかい。決してものごとを一面から見て切り捨てるようなことはしない。
たとえば、前述のナルシシズムは、一見なくてもよい心の動きのように思われるが、向上心と結びつくこともあるし、自分に対する欲望を一切なくすと世捨て人のようになるかもしれないので、適度にあったほうがいいと述べている。
同じように、「心の穴」というと、まるで心にある欠落部分のように感じられるかも知れないが、そこから湧いてくるのはネガティヴな感情やマイナスの感情といった「心のクセ」だけではなく、自分がもつ「魅力」も湧いてくること、すなわち無理に埋めなくてもよい個性を映し出す場所であることを説いている。むしろ、その心の穴の存在を知り、どう向き合うかの方が重要なのだ。その心の穴を知る格好のチャンスが「恋したとき」である。だから、心の穴との向き合い方をしらないと、つらい恋になってしまう…というメカニズムなのだ。
さらに、二村氏は「心の穴」の出自にまで取り組んでいる。それは、やはり親(あるいは親代わりの人)との関係にあるという。どんな親に育てられたにしろ、おしなべて子供には心に穴が空いてしまう(すなわち、心のクセがついてしまう)。だから心の穴のない人はいないし、親にだって心の穴があるのだ。だからといって親を憎むのではなく、自分の穴がどういう性質をもっているのか、どう対処すればいいのかを知ることこそが、自分がよりよく生きる——強く生きることを可能にするのだと、二村氏は語る。
この親子関係を説明しているくだりは、発達心理学だとか精神分析だとか、学術的な裏付けは一切排除されている。むしろ「こういうふうに考えてごらん。そうしたら見えてくるでしょ、道筋が」という語りになっており、心地よい。そしてどう考えたらいいかのヒントが、あちこちにちりばめられているのだ。「人間は、自分が自分をあつかっているようにしか、他人からあつかわれないのです」という一節はその最たる例であろう。Twitterで『恋とセックスで幸せになる秘密』botがあるのも頷ける。
二村氏は繰り返し、自分を認めること、自己肯定の大切さを説く。読みながら「ほら自分を振り返ってごらん、つらい恋をしてきてさ。でもねぇ、無理しないで自分を認めてごらん」と言われているような気分になる(勘違いでしたらスミマセン)。この感覚は、もう20年近く前に読んだ橋本治の『恋愛論』のラストで感じたものと同じだ。「なんか、この世の中には『大丈夫なの』っていう、そういう保証だけがないみたいだから言っちゃうんだけどサ、『大丈夫だよ』って、俺は、そう思うけどね。」(橋本治『恋愛論』講談社文庫、284頁)という一文で終わる橋本治の『恋愛論』は、「恋愛」をきっかけにして明らかになる生き様や、自分を見つめること、自分を受け入れること、他者を受け入れることといった関係性の物語へと拡張していった。同様に、二村氏の『恋とセックスで幸せになる秘密』は、恋を賛美するのでも否定するのでもなく、恋をする「自分自身」について考えることを怠ってきた(あるいはそれが難しい状況にある)女性たちが、その状況を抜け出でるための物語を提示する。
思い返すに、わたしが初めて二村ヒトシという名前を知ったのは、確か1993年のこと、彼が主宰していた劇団『パノラマ歓喜団』による芝居「たらふく姫」を、相鉄本多劇場に見に行ったときだったと思う。もう芝居の内容は忘れてしまったが、舞台せましと縦横無尽に動く二村氏に、心を鷲づかみにされた。その後、パノラマ歓喜団は解散し、そのうち二村氏は風の噂にAV業界にお入りになったということをきいた。しばらく間があいたが、彼のAV作品を少し見始めたり、インタビューや著作を読んだりするうちに、ややこしいことや人が見ないふりをしていることがらの本質をずばりと言い当てる人だなと思っていた。今回の『恋とセックスで幸せになる秘密』も、そんな二村氏の言葉がたくさん詰まっている。きっとこれから何度も読み返すだろう。
この書評の冒頭のふたつの引用に、全くピンと来ないという人もいるだろう。そういう人は、充分幸せだからそのまま生きていけばいい。でも「これは…わたし?」と少しでも思った人は絶対に読んだ方がいい。男でも女でもそれ以外の人も読んだらいい。繰り返し繰り返し読んだらいい。わたしは読む。