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『死にたくないんですけど――iPS細胞は死を克服できるのか』八代嘉美・海猫沢めろん(ソフトバンク新書)

死にたくないんですけど――iPS細胞は死を克服できるのか

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「生と死をめぐるおもしろ対談集」

 まったく科学的な知識のないわたしでも、「再生医療」とか「ES細胞」とか「iPS細胞」とかは聞いたことがあるし、京都大学iPS細胞研究所山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことや、iPSのiが小文字なのはiPodのようなキャッチーさを出すためだったらしいとか、その程度は知っている。

 でも、いったいiPS細胞で何がどこまでできるのか、よくわかっていない。なんだかすごそうだ…ということしかわからない。「再生医療」というからには「再生」をしてくれるのですよね? でもなにを再生してくれるのでしょう。美肌とか?身体や内臓が部分的に欠損したときに、その代わりをつくってくれるのでしょうか? クローン技術とは違うの…ですか?  

 あまりに質問がドシロウトすぎて、たずねることさえはばかられるというもの。とはいえ、やっぱりこの話題になっているiPS細胞とは何なのか、知りたいという気持ちもある。でも誰に聞いたら、何を見たら、このドシロウトにも再生医療が容易に(←重要)理解できるのか…。

 果たして、それはこの本によって(ほぼ)解決された。八代嘉美海猫沢めろん『死にたくないんですけど−−iPS細胞は死を克服できるのか』(ソフトバンク新書)。本書は、ユニークな作風と飄々とした雰囲気の作家・海猫沢めろん氏が、再生医療の最先端について、京都iPS細胞研究所准教授の八代嘉美氏に直撃している対談集である。八代嘉美氏といえば、『再生医療のしくみ』(日本実業出版社)や『iPS細胞−−世紀の発見が医療を変える』(平凡社新書)などの著書があるが、なんといっても山中教授がノーベル賞を受賞されたとき、さまざまなテレビ番組で、わかりやすい解説をされていたのが印象的だ。

 本書のきっかけとなったのは、マーカス・ウォールセンの『バイオパンク−−DIY科学者たちのDNAハック!』(NHK出版)を読んで衝撃を受けた海猫沢氏が、遺伝子組み替えや現在の医療技術の最先端に興味津々となったことにあるようだ。そこで、海猫沢氏がその興味をぶつける代償として選んだのが八代氏。なんでも、海猫沢氏と八代氏は、お住まいがご近所だったこともあって、ご飯を食べに行く仲だったとか。

 さて、「死にたくない!」という海猫沢氏の不老不死への野望で幕を開ける本書は、再生医療が延命−−究極的には不老不死をも可能にするのか−−という海猫沢氏の大胆な質問に答えるかたちですすんでいく。

めろん:(前略)さてさてご多忙な八代さんとせっかく対談することができるので、いろいろ質問してみたいと思っているのですが。どこから聞けばいいか…。

八代:なんでも気軽に聞いて下さい。

めろん:じゃあ、まずはドラえもんの話から。名門で知られる麻布中学校の入試に、「ドラえもんは、なぜ生物ではないか」という問いが出題されて注目を集めました。とても面白い問題だな、と思ったんですが、よくよく考えてみると、奥が深いですよね。ドラえもんが猫型ロボットだということはわかっています。でも知性も感情もある。だから実際にドラえもんのような高度なロボットが開発されたら、もうそれは生物ということでいいのではないか、と。(19)

この海猫沢氏の質問を皮切りに、命とはなにか、再生医療というものがどのように発展してきたのか、ES細胞およびiPS細胞にいたる歴史的背景を丹念に(しかもわかりやすく)繙くとともに、現在の再生医療の限界、そして未来の見取り図を示している。

 いわゆる「万能細胞」というような言葉から生まれる誤解についての指摘、ES細胞からiPS細胞への道のり、また混乱して使われることの多い「遺伝子」「DNA」「染色体」「RNA」「ゲノム」といったキーワードの解説がなされる第一章で、おおまかにiPS細胞の枠組みが提示される。そして、ここで一気に安心感がつのる−−「あ、わたしにも、(だいたい)わかる」。

 

 海猫沢氏自身が実際に試した「遺伝子検査キット」での検査結果からわかる自らの身体にまつわるデータと向き合いながら、体内にある遺伝子の作用について、あれこれ検討する第二章、また再生医療が提起する生命倫理の問題をあつかう第三章がこれに続く。身体(ハード)があっての生命なのか、あるいは自分にまつわる情報(ソフト)だけ保存できれば生き続けられるのか…。海猫沢氏から八代氏つきつけられる生命の問題は、実際には海猫沢氏のとある友人の死に端を発していることが、本書の中で述べられている。本書を通読して感じるのは、再生医療の話をきけばきくほど、その裏返しとしての死の問題が迫ってくるということだった。

 もっとも印象的だったのは、やはり再生医療にその初期から付随していた、生命の発生や、生命の終わりを、人がどのように考え、どのように扱うべきかという問題だ。生命倫理の問題というと、キリスト教の影響のつよい西欧諸国の方が規制が厳しいようなイメージがあるが、実はそうではないと八代氏は述べる。

めろんローマ法王やアメリカのブッシュ前大統領が ES細胞の研究に懸念をしめしていました、という件ですね。日本はキリスト教的な価値観が弱いので、どんどん研究が進められたということはないんですか?

八代:それが、実は逆なんですよ。ES細胞の研究規制については、日本は研究のみを目的とした受精卵の作成は禁止、患者対応ES細胞については条件が整えば可となっているのに比べて、イギリスはどちらも可能となっています。(中略)日本は宗教的な背景がなく、生命倫理について議論する必要がなかったからiPS細胞を発見することができた、なんて記事をみかけたことがあります。でも、この分析は現場の感覚でも実際の経緯から言っても、明確な間違いです。(148-49)

八代氏は生命倫理についてのきちんとした議論の場を持つことが必要と提案する。その後話題は、やはり生殖の問題へと移っていく。iPS細胞によって出産年齢などにどのような影響がありうるのか、出生前診断はどうとらえればよいのか。八代氏はいくつかの場面で印象的な発言を残している。

八代:(前略)いずれにしても、iPS細胞の成功を、「生命の姿」「社会の姿」を問い直すきっかけにするべきでは、と思っています。わたしたちの手元には、あるがままの自然、なんてものはとうにありません。人間は生のままでは生きていけない。周囲を変えるか自分を変えるか、いずれにしても「技術」が介入することで、「死から遠ざかりたい」という本能を満たしてきたわけですから。(165-66)

また出生前診断にまつわる箇所では、八代氏はこう語っている。

八代:(前略)私はそもそも「生まれてこられる」程度の遺伝子のトラブルなのだから、社会全体でそうした人が生きにくくない世界にしていくべきと思っています。所詮、すべての遺伝子がモデル通り、なんて人は一人もいない。めろんさんの遺伝子検査でも出たとおり、なんだかんだで背景はさまざまなんです。そうした個性のひとつと考えたらいい。(227)

 そして なんといっても本書で興味深いのは、ご自身も生物学にかんする書物やSF作品を大量に読み込んでおられる海猫沢氏が、八代氏にさまざまな角度からボールを投げ、八代氏がひとつひとつ打ち返している対話のおもしろさである。上記のような八代氏の発言は、海猫沢氏が投げかけるボールから引き出されている。海猫沢氏の、ときに挑戦的な、ときに好奇心に満ちた、そしてときにしみじみとした発言が、八代氏の魅力を引き出していると言っていいだろう。たとえばつぎの海猫沢氏の「人」に対する感覚は、とりわけ忘れがたい。

めろん:ここからが本題なのですが、最近になってやっと友人の自殺に違和感を覚えて理由がわかってきたんです。僕が思うに、人間の実存ってデータとハードにわかれていて、こうやって八代さんと話しているときは、データとハードが同期している状態なんですよ。わかりやすく言うと、前回会った際に、iPS細胞研究所に勤めることになったことを聞きました。それから今回の対談まで、その情報が八代さんからいただいた最後のデータだったんですが、もちろん周りから「八代さんが引っ越しした」とか「もうすでに忙しく働いているらしい」とか、さまざまな情報が入ってくる。そのデータを勝手に更新して、八代さんというイメージを心の中で構成していたんです。(中略)

 そして、その情報が僕の中では八代さんそのものでした。(中略)それで今日実際お会いして、データとハードを同期させているわけです。(中略)

 でも、僕の友人は死んでしまったので、もう同期させることができません。ハードが突然なくなってしまったわけですから。でも、共通の友だちとかに会えば、「あいつってこうだったよね」とか(中略)あれこれデータが更新されていってしまうんですね。サポートが終わったソフトウェアを「2ちゃんねる」の有志が集まって更新し続けるみたいに。(119-21)

 iPS細胞ってどんなものかわかるかな、という軽い気持ちで本書を読み始めたのだが、読了後はこれまでわたしが出会った死について思いをめぐらせていた。啓発的であり、かつ魅力的な対談集である。

 


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