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『奇跡のリンゴ』石川拓治(幻冬舎文庫)

奇跡のリンゴ

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「この奇跡は必然か?」

 フランスのブルゴーニュ地方に、最高のワインを作るルロワ・ビズー女史がいる。ロマネ・コンティの共同経営者であった父の薫陶を受け、幼い頃から抜群のティスティング能力を発揮した。だが、次第に満足のいくワインを作る生産者が少なくなったため、自らブドウ作りを始めた時に取り入れたのが、バイオダイナミック農法だ。無農薬であるのみならず、天体の影響までを視野に入れた自然農法の一種である。農薬に頼る周りの生産者達は、彼女を「魔女」、「気狂い女」と呼んだ。しかし、出来上がったブドウは素晴らしく、彼女の作るワインはフランスでも最高の評価を得ている。

 石川拓治の『奇跡のリンゴ』を読むと、木村秋則とルロワ・ビズーの姿が重なって見えた。周囲からは徹底的に無視され、馬鹿にされ、時には攻撃されても信念を曲げずに努力を続け、遂に世界でも類を見ないほどの素晴らしいものを作り上げる。ルロワ・ビズーは夫を亡くした年、彼女のみならず、ブドウも悲しみ力を落としたとして、本来ならばグラン・クリュの畑のブドウを、格下のワインと混醸した。8年間かけて素晴らしいリンゴができるようになった木村の畑で枯れてしまった木は、木村が周りの目に遠慮して「枯れないでくれ」と声をかけることをしなかった木であった! 彼等はブドウの木やリンゴの木と心が通じているのだ。

 「奇跡」と名づけられたが、本当に「奇跡」なのだろうか。木村が考えたように、農薬のなかった時代でも、ブドウやリンゴは実がなっていた。もちろん農薬のせいで、木自体も変化し、今や農薬に頼らなくては実がならなくなっているのだろう。しかしそれでも彼等の業績は奇跡なのだろうか。奇跡とは、常識では考えられないことが起こることだ。だがその「常識」が変われば、奇跡の範疇も変わる。私には彼等のブドウやリンゴは「必然」のように思えてならない。

 木村が書店の高い棚から棒でつついてトラクター農業の専門書を取ろうとした時に、隣の本が一緒に落ちてきてしまった。汚れたので仕方なく買ったその本が、福岡正信の『自然農法』だった。この本のおかげで木村は無農薬農法を決意する。「奇跡的な」偶然である。当時としては(多分今でも)常識破りのその決意を、義父がいともあっさり認める。その後家族で長年貧困の苦しみを味わうのに。「奇跡的な」義父との出会いである。木村が絶望し、自殺するために登った岩木山で、自生している(もちろん無農薬で)リンゴの木を発見する。実はドングリの木だったのだが、ここで木村は決定的な要素を発見し、そのおかげでとうとうリンゴの木が再生する。「奇跡的な」発見である。

 これだけ奇跡的な偶然が揃うと、それは必然的に起こるべくして起こったことと思われてくる。特に信仰を持たない私には、それが神の意志かどうかは分からないが、地球という巨大な生命体の「生への意思」である事は確かだと感じられる。農薬と除草剤に頼って土地を殺してしまっては、いずれ農業が立ちゆかなくなることは明白だろう。フランスの土壌研究家であるブルギニョン氏は、フランスの土地の90%は死んでいるし、除草剤、化学肥料、農薬を豊富に使用している畑の微生物量は、サハラ砂漠よりも少ないと言っている。

 作者はある時木村に聞く。「つまりこの畑は、箱船なんでしょう?」木村は両手を広げて答える。「私の舟に乗りなさい」木村は、地球が私たちに遣わしたメシアと考える以外に、この必然的奇跡を理解する道はないのかもしれない。

 


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