『パリ南西東北』ブレーズ・サンドラール著 昼間賢訳(月曜社)
「写真に触発されてパリ郊外を歩いたドキュメント」
買って!買って!と声高に叫ぶ昨今の書籍とちがい、『パリ南西東北』というタイトルといい、白地にその文字をあしらった簡素(で簡潔)な装幀といい、きわめて控えめな書物だが、ここにはとても豊かなものが詰まっている。私が本に求めるのは、何かを教えてくれる以上に、想像を刺激してくれる力だが、そのミッションを果たしている。
ほとんどの日本人が知らないパリ、いやパリジャンですら触れることの少ない戦後まもないパリ郊外が、南西東北の方角に沿ってドキュメントされていく。「郊外」という日本語は、多摩市や西東京市など、東京都下のベッドタウンを想像させる。だが、この本の「郊外」はそれとはニュアンスがちがう。パリを取り囲んでいた城壁の外を指しており、市内のすぐ近くでも城壁の外なら「郊外」だ。社会階層的な含みを持っているという意味では、隅田川のこちら側(皇居側)の人間が対岸のエリアを「川むこう」と呼んだのに近いかもしれない。
読みながら、ゲイ・タリーズの『名もなき人々の街』や開高健の『ずばり東京』など、都市にうごめく人間をドキュメントした作品のあれこれを思い出した。時代はちがっても無名の人間がひしめく都市は似通った姿をしている。それをねじ伏せるには机にむかうだけではだめで、脚と目を使ってくまなく観察しなければならない。その意気込みが共通している。
それにしてもサンドラールの書きっぷりは自由自在だ。記録と想像、現実と幻想、批評と詩、と異なる位相の言葉をホッピングしたり、連結したり、飛躍したりしながら刻んでいく。内容をどう理解するかについては、訳者の昼間賢が読み応えのある長い解説を書いているので、それを参考にしていただくとして、パリに詳しくないは私がここで考えてみたいには、写真と文章の関係である。
文章の成り立ちからしておもしろい。ブレーズ・サンドラールはこれを単独に発表するために書いたのではなかった。ロベルト・ドアノーの撮った郊外の写真が先にあり、いわばそれに触発されるかたちで書かれたのである。まだ若くて無名だったドアノーは、発表するあてなく撮りためていた写真を、雑誌の取材で出会った大作家に見てもらう。出来に感じ入ったサンドラールは、出版社に話をとりつけ、文章を書き下ろした。そのテキストの部分を、訳者の解説とともに一冊にまとめたのが本書だ。
原書にはドアノーの名前はなく、サンドラールの著作として世に出たという。写真家の地位がいまほど高くはなく、しかも無名とあれば、文章に添える図版として扱われたのは致し方なかっただろう。ドアノーにとっては第一歩を踏み出せたことのほうが重要だったにちがいない。
訳者も指摘するように、サンドラールの名は日本ではほとんど知られていない。翻訳されている作品もごくわずかだ。ひるがえってドアノーの名前は、多少なりとも写真に興味があれば知っている。この六十年ほどの間に立場がひっくり返ったわけだが、これを逆転勝利と見るのは早計だろう。
ドアノーには「郊外と郊外人」というはっきりしたテーマがあった。郊外は何の特徴もないみすぼらしい環境ではあるが、そこに暮らす人々は当然ながら暮らしの表情をもっている。それを写真でとらえようしたのだった。だが、これまで彼の写真がそういう文脈で理解されてきたとは言いがたい。「ヒューマニズムの写真家」どまりが多いのだ。とくに日本の読者はパリ市街と郊外の関係がわからないから、セーヌ川の恋人も郊外の安ビストロもエキゾチックなものとしてひと括りにする。しかもドアノーは人間と撮るのがうまいと来ているから、もっぱら明るくニューマンな側面ばかりを読み取ってしまうのだ。
サンドラールのこのテキストは、一部が翻訳されて写真集に載ったことはあったものの、ぜんぶが訳されたのは今回がはじめてである。読みだしてまず驚くのは文章の暗さだろう。ドアノーのあの「楽しげな写真」とどこでつながっているのかとうろたえるほど、翳りが強い。帯文に堀江敏幸が「呪詛の詩法」と書いているが、まったくその通りで、呪いと怒りがそこかしこから立ち上がり、悲嘆の深さに圧倒されてしまう。
典型的な例をあげよう。ちいさな姉弟が手をつなぎあって牛乳を買いにいく有名な写真がある。どんな写真かは、2010年11月5日に取り上げた『不完全なレンズで』を参照いただきたい。表紙にあるのがその写真である。ふたりの姿が実に愛らしい。まわりの建物が大きいのは、パリの建物がそうだからで、それゆえに彼らのかわいらしさが際立っているとふつうは思うだろう。
ところがサンドラールはこう書く。
「……恐ろしい人食い鬼のような光景である! これ以上悲劇的な舞台もない。私は目をこする。血が出るまでつねってみる。こんな現実は信じられない。ぞっとする。少女は微笑んでいるが無駄なことだ。これからマギーの店にはいって、あるいは店から出て、角を曲がったとき、いったい何が起こるのだろう? バスに轢かれてしまうかもしれない。というのも、陰気で朝の寒さに覆われたこの舞台では、人食い鬼も現代的で散文的だろうから、長靴を履いているのではなく、自転車かバイクに乗っていて……その近づく音が聞こえる……ごみ収集車がけたたましく通りすぎる……かわいそうな親指太郎たち!」
車がびゅんびゅんと飛ばす、人間のスケールを越えた街中を、ちいさな子供がよちよちと歩いているなんて、サンドラールには恐怖以外の何ものでもなかった。彼らのあどけない姿は、危険がむきだしの非人間的な空間を象徴するものとして彼の目に映ったのだった。
相当な悲観論者だ。それは彼の生きてきた人生とも関係しているのだろうか。スイスのフランス語圏で生まれ、幼いころから家族とともに国外を転々とし、大人になってからも移動をつづけ、ブラジルには五度も渡っているなど、旅好きな流浪の詩人・小説家である。「二〇世紀前半のフランス文学史を繙けば、その名前はあちこちに見つかる」ほど重要な人物だが、しかし大事なときには「席を外している」感もまたあるというから、状況の外に立たずにいられない、中心にいると居心地が悪くなるタイプの人だったのかもしれない。観察眼が鋭いだけに、ゆがみに敏感に反応していたたまれなくなる。
テキストを書くために、サンドラールはパリ郊外を歩きまわり、環境の劣悪さ、暮らしの悲惨さ、未来のなさに首を振る。運命の輪につながれた人々が汗水たらして労働する姿、「前へ! 前へ!」と運命の輪をまわそうとする人間の狂気に絶望する。彼にとって郊外は、人間社会のどうしようもなさを濃縮したものにほかならなかった。
こうした現実への視点は、見えている世界、感じている対象に、意味を付与する言葉の人間が宿命的に持ってしまうものとも言えるだろう。現実を仔細に観察し、その意味を掘り下げれば掘り下げるほど、社会が非人間的な堕落の方向にむかっているのがあらわになっていく。この追いつめらた精神に風穴を開けたもの、それが若きドアノーの写真だったのではないか。
「決してウインクしないロベール・ドアノーのありのままの写真は、私の行き過ぎを正してくれる。大げさにいうべきではない。現実で十分。そこに「つけ加える」必要はない。とはいえ、ぼかしの効果や高性能のレンズを用いても、写真家の眼が隅々まで行きわたるわけではなく、まさにある種の影の域が彼には禁じられていることを忘れるべきではない。そんなわけで私の文章は、写真を説明するべきなのに、写真よりも暗い……」
なるほど、写真はオールマイティーではない。光の届かないところは写らない、という光学としての限界がある。言葉の人間である彼は、それが意識できたことで、やるべきことが見えたのかもしれない。写真が表現できない「影の域」にこそ、自分のなすべき仕事が残されている、そう痛感して発奮したのだった。
『国際法と政治外交学』というスイスの研究誌にのった「次の戦争を準備している人たちのための戦争レポート」を取り上げ、そこに上がっている戦死した兵士の数や、強制収容所で殺害された人の数や、家や財産を失った人の数などを並べたあと、サンドラールは言う。
「こんな皆殺しの後でも郊外では花が咲き、かつてなかったほど咲き乱れるのだから、悲惨だ!」
写真と文章のちがいが見事に対比された文章だ。「悲惨だ!」というのは言葉の視点であり、「花が咲き乱れる」までが写真なのである。ドアノーはまさにそのような眼で郊外をとらえた。「悲惨さ」を撮るのではなく、悲惨のなかに生きる人、そこに開く花をとらえたのだった。親子ほど年齢の開いた若い写真家からそういう写真を見せられたサンドラールの衝撃は、どれほどだっただろう。あのひどい環境のなかでニコニコと暮らしている人がいる。なんたることだと天を仰ぎ、写真の力に瞠目しただろう。と同時に言葉の人間として、ここは一丁負けずにやらなくては!と張り切ったにちがいないのだ。
そのことは文章からもくみとれる。たしかに呪詛の言葉が連ねられているが、そこには力がみなぎっている。言葉の重なりに、想像の連鎖に、エネルギーがこもっている。悲観的な内容であっても、書いている自分には悲観していない。夢中になって言葉にむかい、文章の力で現実と格闘している。そのことが読む者の心を熱くする。
異なるメディアとぶつかることで、意味に押さえ込まれていたエネルギーが回復できた面があったのではないか。そう想像するのは楽しい。ドアノーからつぎつぎと届く郊外の写真を見て、今度はここに出かけてみようと意気込むこともあっただろう。これを書いているあいだ、ともかくサンドラールは歩く人になったのだ。
「いま一度私は街から出て、いま一度私は眼と脚でこのパリ郊外を歩き始める、五十年前から、地球のあちこちを回るあいだに機会があればいつもそうしてきたように」
還暦を超えた大作家が、若い写真家に負けじと歩く姿が浮かんでくる。歩きながら目に映るものに驚き、歓び、笑い、嘆いて全身で反応する。瞬間を生きる手応えがまちがいなくあったはずである。