『プロテスト・ソング・クロニクル――反原発から反差別まで』鈴木孝弥監修(ミュージック・マガジン)
「いま、<闘いの歌>を聴け!」
本書は編集者の高岡洋詞が中心となって企画したもので、35人の執筆者が名を連ねている。7つのカテゴリー(構成は文末に記した)とコラムからなり、言及されている歌は目次に挙げられているものだけで130曲にもなる。年代も、歌手でコメディアンのマックス・ハンセンがヒトラーのゲイ弾圧を風刺した1928年の歌から、3・11後に発売されたアイドルグループ・制服向上委員会による「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」にまで及び、まさに「<プロテスト・ソング>に見る近代史」だ。
東日本大震災による福島第一原発事故が収束していない現在、本書の持つ意義は計り知れないが、本書の意義はそれだけにとどまるものではない。鈴木孝弥は、まえがき「<3・11>を体験した今こそ味わいたい<闘いの歌>」で、3・11以降、<プロテスト・ソング>という語感の持つ意味、それらが持つリアリティが変化したのでないかと問う。そういった身体感覚を伴った音楽経験の変容は、原発に限らず、本書がカテゴリーとして設定している戦争、覇権主義、国家による抑圧、人種差別、性差別、自然破壊などの諸問題にも通じるのではいか。鈴木は本書の意図を次のように述べる。
「古今東西の<プロテスト・ソング>は、体制側の何に対し、どのように異議を唱え、大衆運動をどのように支えてきたのか? どんな歌が人々を立ち上がらせ、また、人々の声となってきたのか?」
すべての歌、カテゴリーについて評するのは難しいため、反原発をテーマにしたいくつかの短評を3・11前と後に分けて触れておきたい。
(1) 3・11前
RCサクセション/サマータイム・ブルース(1988)について、近藤康太郎はその特徴を徹底したユーモア、ファルス(この場合、「道化」の意味か)としている。ボーカルの忌野清志郎は、この歌によって自身を「反原発の闘士」として祭り上げようとするメディアに対しても反撃したという。
ザ・ブルーハーツ/チェルノブイリ(1988)で小野島大が述べるのは、原発の「いやな感じ」への個人としての問いかけである。真島昌利の詞に見られるのはロゴス(論理)ではなく、また清志郎のようなユーモアでもなく、感覚から発する違和感といえる。当時中学生だった評者には、「チェルノブリには行きたくねえ」という歌詞が差別的に聞こえたように記憶しているが、その後にこのようなフレーズがあった。「どこに行っても同じことなのか」。
佐野元春/警告どおり 計画どおり(1988)について、南田勝也はポピュラーであることをポリシーとする佐野が「他に想像の余地がないほどはっきりと」原発を歌ったことに大きな意味を見出す。
これらはいずれも、チェルノブイリ原発事故(1986)の影響を強く受けたものと考えられるが、森達也が『放送禁止歌』 (解放出版社)で述べたような「自主規制」がはびこるなか、それぞれのアーティストが独自の表現形式で原発と向き合っていることがうかがえる。
(2) 3・11後
ECD/Recording Report 反原発REMIX(2011)はYouTubeで拡散した歌だ。二木信によれば、「政府や東電、マスコミは事故後少なくとも2カ月は反/脱原発の世論や町の声を無視し続けた」が、この歌は4月18日にアップされている。
斉藤和義/ずっとウソだった(2011)をめぐる騒動を覚えている人は多いだろう。同曲は、3・11を受けて、斉藤が自身の著名曲「ずっと好きだった」をアレンジしたものだ。前出の南田がまとめているように、ビクターは配信停止をYouTubeに求めたが、ネットを基点として騒動になったことでさらに拡散することとなった。編集部がつけたキャプションによれば、斉藤本人がゲリラ的に投稿したものとされる。
3・11後の反原発ソングに見られるのは、風刺や皮肉でも、つくり込まれた表現形式でもなく、ストレートな批判である。また、それらが動画サイトで共有されさまざまな場所に拡散するスピードは、業界における規制をはるかに凌駕するものであった。
本書の魅力、意義はこれまでに述べたとおりだが、評者が感じたことを何点か付記しておきたい。まず、<プロテスト・ソング>の範疇に入らないものにもわれわれは注目していく必要があるだろう。それは対象も理由もさまざまだろう。プロテストし得ないものもあるだろうし、プロテストまでは行かないいらだちや違和感のようなものもあるだろう。例えば前述の「チェルノブイリ」で原発だけでなく監視社会のいやな感じが歌われていたように。
また、<プロテスト・ソング>の系譜をもっと体系的にとらえるような作業も必要であることも本書から示唆される。そこでは、それぞれの歌、アーティストの関係やその成立過程、受容過程から、さまざまなアーティストに別の文脈でカバーされ、動画サイトなどの場で新たな意味を帯びていく<プロテスト・ソング>の相互テクスト性といったものが対象になるだろうか。
<プロテスト・ソング>を「鑑賞の対象物」としていた人も、また教養として「押さえておくべき対象」ととらえていた人も、本書を機に、(共鳴であれ反発であれ)感情を喚起するものとして、さらには些細なことでも何らかの行動につながるものとして聴き直してみてはいかがだろうか。
【カテゴリーの構成】
・SUMMERTIME BLUES――原発、核兵器の廃絶を訴える歌
・MASTERS OF WAR――戦争を憎み、平和を願う歌
・WE ARE ALL PROSTITUES――大国の横暴に怒る歌
・POWER TO THE PEOPLE――国家、体制の抑圧に抗う歌
・SAY IT LOUD-I’M BLACK AND PROUD――人種差別を許さない歌
・I AM WOMAN――性差別、同性愛差別を糾す歌
・MERCY MERCY ME(THE ECOLOGY)――自然破壊を嘆く歌