『ホーダー 捨てられない・片づけられない病』ランディ・O・フロスト、ゲイル・スティケティ(日経BPナショナル・ジオグラフィック社)
「『片づけられない』は現代の病理なのか?」
テレビのニュースで度々特集されるテーマの一つに、「片づけられない病」「ゴミ屋敷」がある。これらの特集では、片づけられない人が迷惑な隣人として描かれ、当事者がテレビのリポーターから一方的にマイクを向けられ逆切れする(プライバシーへの配慮から機械的に変換された甲高い声で)のがお決まりのパターンとなっている。
これらに特徴的なのは、「片づけられない」ということが、社会問題というよりは悪臭を放ったり、虫がわいたりするなど自分たちに直接降りかかってくる身近なリスクとして描かれているということだ。そこでは、その原因やその人の抱えている背景はほとんど触れられないし、こういった人が続けて出てくるのはなぜかというもっとマクロな問題が掘り下げられることもない。
また一方で、片づけや収納ということがバラエティや情報番組の主要なテーマとなり、「収納のカリスマ」がもてはやされ、書店にはそういった書籍や雑誌が大きく特集されているという状況もある。
本書では、片づけられない人を「ホーダー」(ガラクタ収集癖に苦しむ人)と呼び、彼らを「ホーディング・シンドローム」(貯蔵症候群)と診断する。そしてその実態に迫ろうとしたものだ。著者によると、アメリカのメディアでもホーダーについては激しい報道がなされてきたが、それは精神医学界には波及しなかった。日本の状況とも似ている。
本書は、1947年にアメリカで騒ぎになり、その後小説にもなったコリヤー兄弟の例を冒頭で挙げながら、その後アイリーンを中心に、デブラ、コリン、アシュリーという名の人たちの事例を丹念に追いながらホーダーの実態に迫っていく。ホーディングの実態を告発する本や、そうならないためのハウツー本は少なくないが、仮説を立てて検証することでホーダーを科学的に解明しようとした本書は、そういったものとは一線を画するものだ。
なかでも、マサチューセッツ州の女性、アイリーンの事例は「貯蔵への志向」が社会からの引きこもりにつながるという従来の仮説を覆すもので興味深い。彼女へのインタビューから見られたことは、身の周りの世界に過剰とも思えるほど興味を持っており、モノについて、あるいはモノと自分の生活や個人史について語るということだ。それぞれのホーダーの特徴やこだわりは実に多様で、そこに共通点を見出すのは容易ではなかっただろうが、著者はこのような「モノ語り」やモノの価値や使い道を効率よく判断する能力の欠如などを挙げている。
だが、読み進めていくにつれて、モノにあふれた消費社会において、モノへの執着が全くない者などいるのだろうかという疑問が生じる。それについては著者自身認めている。
「正常と異常の境目は、ホーディングに関しては曖昧だ。私たちはみな自分の所有物に愛着を感じ、他の人なら手放すようなものでも溜めこんでしまう」(23頁)
「驚くほど多くの人々の人生が、モノへの執着によって妨げられている」(16頁)というように、著者の問題設定は捨てられないことより、ホールドすること、集めることの考察に力点が置かれる。特に哲学、人類学、社会学、文学を横断してそれをとらえようとする第2章は読みごたえのあるものだ。
だが評者にはその半面、「捨てられないこと」をめぐる考察が幾分弱いようにも思えた。心理学者は「〇〇症候群」を量産する。そしてそれに従って対策が講じられたり、治療が行われたりする。しかし、「捨てられないこと」にはモノへの執着以外にもさまざまな要因があるのではないだろうか。処分にかかるコストや労力の問題、高齢化社会や家族関係などだ。
冒頭述べたように、メディアはホーダーに「理解できない人」というレッテルを張り、自分たちとは異なる人として線引きをしようとする。だが、彼らに見られるモノとアイデンティティとの不安定な関係は多くの人が抱えていることではないだろうか。
実のところ、評者はホーダーとは正反対の「捨て魔」を自認している。気に入らないものが周囲にあることが我慢できないためにすぐに捨ててしまうのだ。少数のお気に入りのモノに囲まれていたいと思っている。これを一歩引いて見てみると、モノの総量ではなく濃度に意味を付与しているといえるだろうか。結果こそ反対の現れ方をしているが、モノとアイデンティティが不可分に結合しているという意味では、これもある種のホーディングであろう。
モノとアイデンティティについて考えたときに、評者は映画『ファイト・クラブ』(米、1999年公開)で、主人公の「僕」がモノに囲まれ、執着している自己を嫌悪していくなかで、別人格をつくりだすに至るという描写を思い出した。
本書で詳細に描かれている個々の症例は貴重な知見だが、併せて、そういった状況を生み出す社会的な要因も今後追究されるべきテーマだろう。