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『建築家 五十嵐正』文:植田実、写真:藤塚光政(西田書店)

建築家 五十嵐正

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「ありふれたまちの建物を作る楽しみの深さ」

自転車のハンドルを両手でぐいと握りしめた男は、これからどこにでかけようとしているのだろう。蝶ネクタイに眼鏡に革靴。よく焼けた顔でまぶしそうにこちらを見ている。本の最後に付された地図にも、同じように自転車を手にした写真。この二枚は同じ場所で撮られているが、地べたは砂利からアスファルトへ、時を経てなお、よほど自転車に乗る姿の印象が周囲に深いのだろう。

「帯広で五百の建築をつくった」建築家という。大正元年(1912)生まれ、昭和56年(1982)没。その生涯で500の建物をつくるとはどれだけのことなのか。見当もつかぬままページをめくると、昭和33年、帯広駅前に整然と拡がる道路の写真。バスとバイクと自転車と、ふろしき包みを抱えた人々が行き交う。そして同じ通りに自家用車があふれ、ガードレールがすえられた6年後の写真。そんな時代に生きたひとであるらしい。

続いて、青空に映える住宅写真。普段の散歩の途中で見かけたら、きっと立ち止まる家々だ。と思いつつ、写真が並ぶと物足りない。2、3度ページを戻るがピンと来ないまま、植田実さんの文章に進む。建築家としての500件は他にも例がないわけではないことや、ひとりの建築家の仕事が集中している場所の前例として、直島の安藤忠雄ヘルシンキアルヴァ・アアルトのことなど、そして、五十嵐正とは植田さんをして知らない建築家であったが、作品のあまりの何気なさにもかかわらず、2日で60件あまり見て回ったのに「飽きもせず疲れもしなかった自分に驚いた」ことなど。

建築専門誌などで扱えるレベルのものかと聞かれれば、多分ありえないと答えるしかない。ということはこうして写真を見てもらうこと自体が、五十嵐の仕事の理解に逆らうという、矛盾したあり方になってしまうのだ。六十もの建築を訪ねればたしかに五十嵐正はそこにいた、と確信できる。けれどもその全体を要約できるとしても、建築家の個性といえるオリジナルな形態や肌合いや色調はどこにもない。そういってしまうほうが理解につながる気がする。そういうものをこの人はまるで必要としていないからだ。

植田さんは続けてこう書く。「ありふれたまちの建物にすぎない。」

         ※

街を歩いていて、どこの誰の家なのか、まして建築家は誰なのかなにも知らないけれど、建物、庭、門などが全体としてああ、家、を感じさせ、その佇まいに思わず足を止めることがある。その気配に浴するために、「素敵な家!」とひとりごちるのが礼儀となった。キアロスタミの映画に出てくる小さな植木鉢が並ぶ家や高知の沢田マンション、新幹線の中から見える農家や平櫛田中が暮らした家など、脈絡はないがみな等しくそうである。五十嵐による家もやっぱりそうで、植田さんの「ありふれたまちの建物にすぎない。」という言葉に、専門家の手を離れて「こっちに来た、いただき」と思ってうれしかった。だが改めて本をめくれば、五十嵐の設計に「楽しみの深さ」をみた植田さんの「楽しみの深さ」に、「素敵な家!」とひとりごちるだけの楽しさに足りぬ深さを言い当てられて、心地よく後ろめたい。

さて五十嵐は、タイルやブロック、鋳鉄など既製品の様々を玄関まわりに特に多用していて、その使い方がキッチュさや面白みを醸し出していたようだ。こうした商品がにぎやかに出て、作り手にしてみれば、選ぶ域も組み合わせ方も無限に広がった時期なのだろう。昭和41年刊行の、神谷正信さんがまとめた『門と塀1000集』(主婦と生活社)を見ると、門や塀もその材料が、竹垣から大谷石やコンクリート、鋳鉄の組み合わせに大きく変わった時期であることが見てとれる。それにしてもまたこの本にも、「素敵な家」ばかりが並ぶ。住む人作る人、複数の「楽しみの深さ」のための時間が、折り重なっているからだろう。

五十嵐がよく自転車にまたがっていたのは、現場に行くためであった。「じーっと考えながら」設計し、そのこだわりは職人泣かせで、仕上がりが気に入らないと「俺が金を払うから」と言って壊すこともあったという。その甥はダンディな叔父に憧れて、やがて彫刻家になった。五十嵐威暢さんである。あとがきに威暢さんは、「この本の出版に際して……手作り木製パッケージ特装本として包んでみることにしました」と記し、デッサンも添えた。なんのことかわからずにいたら、6月になって、アートボックスとして展示販売したようだ。この本そのものは上製本され、表紙のダンボールが2ミリ厚はあるだろうか、やや重苦しい印象があった。最初からこのアートボックスとのバランスで考えてのことかどうかはわからないが、柔らかい表紙のほうが似合っていたようには思う。


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