書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『絵はがきのなかの彦根』細馬宏通 (サンライズ出版)

絵はがきのなかの彦根

→紀伊國屋書店で購入

「大人」による「風景探偵調書」

すでに絵はがきについての著書『絵はがきの時代』(2006青土社)があり、明治時代の塔の研究をまとめた『浅草十二階』(2001青土社)の資料として集めたのが絵はがき収集の始まりという著者の細馬宏通さんは、「かえるさん」であり「かえる目」であり、デジオことポッドキャスティング番組の「ラジオ 沼」の発信者であり……。「細馬宏通研究室」のウェブサイトに記されるのは活動と興味のほんの一部と知りつつ、それにしても追いようのない広さや深さ、ただそれが圧倒を強いるだけではなくて、なんて世の中は、この先生が満喫しているように実は楽しめることで溢れていることか、自分は気づいていないだけなのだなあという、なにか穏やかな、限りない明るさをいつも抱いてしまうことが、なにもの?と感じさせる一番の理由ではないかと思っている。脳みそを開いて裏返したら、一個づつの細胞がことごとく別々の面白みを待ち受けてワクワク震えているのだろう。もちろん、お仕事はきちんとなさっている。滋賀県立大学人間文化学部人間関係専攻准教授、彦根に住んで12年になるそうだ。

     ※

絵はがきを集めているうちに、地元・彦根のものも、だんだん集まってきたという。いつしか鞄に絵はがき、ノート、カメラ。絵はがきにあった現場にふらりとでかけては、探しものが見つからなければ人に聞く、聞く。だんだんと、絵はがきの拡大コピーを持ち歩くようになったという。お年寄りにもよく見てもらえるし、なるほど書き込むのも楽だろう。やがてこうしてあちこち歩く試みに、「彦根風景探偵」なる名称がつけられた(by 上田洋平さん)。探偵とはいえ依頼者はおらず、「あえて言えば、絵はがきからの依頼を受けているようなもの」。すなわちこの本は、「彦根風景探偵調書」というわけである。強力な地元の先達こと「紙モノ」蒐集家・野瀬正雄さんにも、その探偵先で出会ったのかもしれない。

絵はがきを撮影された現場にようやく到着しても、景色を確認するのみならず、写真師の立ち位置をしつこく追う姿がいい。「景色とそれを写す人との間にある空気に、少し触れることができ」る気がするという。ただしそうすることで、周囲の土地の変化や写真の合成やトリミングのことまで、またさらに探偵の域が広がってゆくのだ。折しも彦根は国宝・彦根城築城400年でわいており、帯にはもへろんさんによる2007年開催の同祭のキャラクター・ひこにゃんが笑い、「国宝・彦根城築城400年記念出版」とある。挟み込まれた版元のサンライズ出版の目録「湖国の本」からは、丁寧に誇らかにこの地域の古今を本のかたちで伝えようとしていることが伝わってくる。

     ※

さて絵はがきは、もちろん彦根だけのものではない。観光地を中心に、世界中にその舞台がある。たまたま手にした絵はがきを見て、ちょっとここに行ってみようか、と思うこともある。ただ気紛れに、訪れるのもいい。でもちょっとこの本を開いて、絵はがきを読み解くヒントをまとめたコラム「絵はがきの時代推定いろいろ」「古い絵はがきは質がよい」「片目をつぶって絵はがきを見る」「古いパンフレットを読み解く」を読めば、もっと楽しくなるに違いない。でもコラムなんていってわざわざ分けて書く必要は、なかったんじゃないかなあ。タイトルや帯で地域が限定されるけど、読めば一地域に向けたものでないことはわかるのだし。と言いながら、彦根以外の人にもたくさん読んで欲しくて、コラムのタイトルをわざわざ書き出してみる次第です。 

とにかく、この本を持って彦根を旅するもよし。また、暮らす土地で生まれた土地で、知らない土地を架空の土地を、風景探偵団を名乗り旅するもよし。ひとりもよし、集うもよし。実に、広い本なのですから。細馬宏通さんは、自分が知るより世の中には全然多くの楽しみがあることを感じさせてくれる、究極の「大人」でしょう。いったどこのオトナが、絵はがきから探偵を依頼されて調書をまとめます?


→紀伊國屋書店で購入