『ウェブスター辞書と明治の知識人』早川勇(春風社)
明治行く箱舟、平成の腐海にこそ浮けよかし
本書は、アメリカン・ルネサンスを代表する作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』冒頭を一種の引用辞典にして、それによって「クジラ」を定義するなど、辞書と辞書メタファーに敏感なところを示している。メルヴィルが日常使っていた字引の代表格がノア・ウェブスター編纂のウェブスター大辞典であることに間違いなく、まるで大きな箱のような形態と編集者当人の名に引っ掛けて、この大辞典を「ノアの箱舟」と譬え、それが捕鯨船ピークォド号と二重映しになってなかなか笑えるウィットを思いついたりしている。
ノア・ウェブスター(1758-1843)は生没年を見るまでもなく、アメリカがイギリスから独立する長い戦争の顛末とそっくり重なる時代の国民的スターの一人である。印紙税、ボストン茶会事件から南北戦争前夜に向けての非常に政治的な季節に、イギリスとの袂別を英語ならぬ「米語」の確立を通して実現しようとした大変愛国主義的な仕事が彼のウェブスター「米語」辞典である。宗主国イギリス本家の英語の大権威たるジョンソン博士の有名な『英語辞典』(1755)への徹底批判から、この仕事は出発している。
移民に文盲が多いこともあり危難の国家を、ピューリタン道徳で求心力あるものとして維持発展させようとして、ウェブスターの綴り字教則本、文法書、そして読本の「英語文法教本」3点セットができ、その成果が1828年の『大辞典』に爆発したのだが、本書は1806年にアメリカ初の国産英語辞典として出発したウェブスター辞典がさまざまな簡約版を錯綜させながら、1890年には国際版に至る幾多の系列を持つ「ウェブスター」辞書群に発展するまでの離合と集散の歴史を、まず第一部として手際よく概観する。接触言語学の中心人物・早川氏の学殖は確固としてよどみない。
が、何と言っても興味深いのは、江戸末期から明治いっぱいかけて長年の蘭学研究が急速に「エゲレス」へと関心を転じていく日米交渉のレキシコグラフィー [辞書学] 史である。日本における英語辞書編纂にのみか、日本語辞書(大槻文彦の『言海』)や『漢和大字典』にまでウェブスター辞書が大きな方向性を与えていったことを縷説する。それはそれとして専門家には面白いだろうし、素人にとっても、ペリー来航から生麦事件、大政奉還から北海道開拓使、日清日露戦争に日英同盟といった波瀾万丈の世相と数々の通詞通弁や産学官各界のアントルプルヌール [起業家] たちの着想・企画が絡み合いながら進行していく有りようは、実に息詰まるほど面白い。『経営者の精神史』の山口昌男とか『黄金伝説』の荒俣宏のような歴史人類学、産業考古学のセンスが著者にあれば、さらに一段とわくわくするような明治知性図になったはずの素材ながら、この淡々と記述されていくデータだけでも、なにしろ福沢諭吉、前島密、札幌農学校のクラーク博士、野心抑えがたくアメリカに密出国して帰国後に同志社大学の「学祖様」と化す新島襄など、主人公が主人公なだけに面白くないはずがない。
辞書史の中にしか出てこないはずの通弁の類にも結構破滅型や驚くべき奇才がいたらしく、区々が幕末や維新の奇人伝となる。破滅型は福地桜痴。岩倉遣欧使節団の通弁。『大英字典』を計画しながら、「芸名」の示すが如く桜なる芸妓と「痴」情交す間に見事に未完。いいねえ、いいねえ。奇才の方は『附音挿図 英和字彙』の子安唆(たかし)。語の定義を説明するのでなく、日本文にそのまま挿入すれば良い、カチッと対応する日本語を示す他、挿絵という画期的な方法も採ったすばらしい英和辞典の編集者は、和文モールス信号を案出し、『読売新聞』を創業し、かと思えば日銀の初代監事でもある。一体どういう頭をしているのと一番驚くのは前島密。郵便や鉄道関係その他八面六臂の活躍とはこの人のためにある言葉だが、福沢諭吉に始まる国語国字改革論(言文一致・漢字全廃)の急先鋒だったことは、ぼくなど不明にして全く知らなかった。石井研堂や大橋佐平といったメディア界の奇才の列伝を面白く試みた山口昌男・坪内祐三師弟のトンデモ明治は、英学・辞書学の世界でも面目躍如である。こうした明治的奇才の元祖たる福沢諭吉は中津藩の、また一番しんがりの田中不二麿は尾張藩の旧幕臣の子であるということで、明治英学史も山口氏言うところの「敗者の精神史」であったのかと至極納得がいった。そういう人々が当然のように交錯して相関図ができていくこの熱血の明治英学史の二百ページ弱(第二部「ウェブスター辞書と日本の夜明け」)は刀を英語に置き換えた草莽志士、奇才官僚の列伝としてむちゃくちゃ面白い。
その最後は『英和双解字典』他の棚橋一郎。政教社を組織してナショナリズムをこととしたが、当然世界事情を知り抜いた上での国粋主義であった。それこそまさしく19世紀初めにウェブスターが抱懐した烈情であった。それが教育勅語発令(1890)され、「<柔術>や<剣術>は<柔道>や<剣道>と呼ばれるようになった、元々の中国語には<~道>という考えはなく、日本的概念である。洋学者を中心にすすめられた漢字廃止論は陰を潜め、漢字漢文が復活した。同時に<国語><国文>の概念が確立」という時代になっていく。
もはやつまらぬ、敢えて「明治の」と断りを入れたのはその辺のことである、と著者は言う。同じアマースト大学に留学しても、英学をやることが天恵のようだった新島襄の世界から、悉く幻滅を重ねる内村鑑三の環境への変化と言ってもよいが、そのアマースト大学こそノア・ウェブスター創始になるものであり、クラーク博士ゆかりの大学であることを知らされると、確かに明治はウェブスター辞書で語り得ると納得させられるしかない。
「大学」と「英語」が「行き詰まり教育界」の二大キーワードたる今、日本人必読の名著。こういう地に足のついたアメリカ研究もある、ということで今回とりあげた。最近訳されて話題のクリストファー・ベンフィーの名作の名を借りるなら、ここにも「グレイト・ウェイヴ」の小さな波ひとつ、という感じがした。