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『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』平松剛(文藝春秋)

磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ

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磯崎新の「大風呂敷」を包む平松剛の「大風呂敷」

本扉に描かれた○と×と△と□と|と。左手人差し指を掲げてウインクしたロボットの顔のようなこの図柄はなんだ? ページをめくってなかほど第8章「遡行」の小見出しに「○×△□ どうして? プラトン」、そこにはこうある。「あのね……ある時、突然、磯崎さんがイエロートレペに図面を描いてきたんですよ」——「普通、磯崎さんのスケッチは"フリーハンド"なんですけど……あの……この新都庁舎コンペの時は、いきなり、"ハードライン"で描いてきたんですよ」。定規を使って描いた線を"ハードライン"と呼ぶのだそうだ。舞台は建築家・磯崎新さんの事務所で、ふだんとは違うなにかが、この定規でひかれた○×△□とともにやってきたようだ。

冒頭のページに指を戻す。ある朝、時計は10時をまわったところ。事務所の電話が鳴ってスタッフが眠たそうに受話器をとる。「はい、渡辺です」「もしもし、網谷です。朝早くごめんなさい」「あ、お早うございます」。渡辺くんとは徹夜明けで、かけてきた女性は渡辺くんより年上なのだろう。土曜ワイド劇場のはじまりのような一幕だ。この本にはときどきこうした描写があって、著者の平松剛さんにしてみれば、いかに「戦後日本最大のコンペ」であろうとそのはじまりはあたりまえの朝であり、あたりまえの会話の重なりであるということだろう。小さな喫茶店で土曜ワイド劇場をみながらコーヒーを飲んでいる風変わりだが知的でユーモラスな兄さんが店主にしゃべっているような、そんな語り口でもある。

それは章タイトルや小見出しにもあらわれる。「おもしろそうな人」「わからない人」「建築家の腹」「恐い人」。「帝国の逆襲」「帝国の学習」。「じく」「じくじく」。「めまい」「斜陽」。また「戦後日本最大のコンペ」がはじまった1985年は、暮れに小泉今日子の『なんてったってアイドル』がヒットしたことに触れてこう書く。


偶像(アイドル)は、いつの時代も、やめられないのである。


コンペのために職員が用意した書類には「シンボル」なる言葉がずいぶんあったようで、そのねらうところは東京の「シンボル」となる建物であってほしいということ、そして、「シンボル」となる最もわかりやすい形である高層化こそが望まれたようだった。この本にはその「新東京都庁舎コンペ要項」の全文も収録されており、そのあとに平松さんは「磯崎新のコンペ要項読み方講座」を続けた。


「どこから見るかっていうと、真っ先に"審査員の名前"を見るわけです(笑)」


     ※

シンボルが連呼された「まえがき」なんか読まない。それでどんなふうにあの○×△□案が作られていくのだろう。高層ではない。全長288メートル、高さ87メートル、例えるなら巨大な羊羹。磯崎新の生い立ち、戦争、作品と思想。神話、小説、アート。丹下健三事務所をはじめとする競合多社とのかけひき、日本の建築教育界のこと、政治と建築。シティ・ホール、広場、新宿。そして端的に描かれた事務所のひとりずつの言動。磯崎新が広げる「大風呂敷」はやがて一つの案としてまとまり、図面はシルクスクリーンで、模型は木で作られて写真も撮られた。平松さんはそれぞれの職人も深く描いて、事務所スタッフのその後にも触れた。どんな巨大な建物も、人ひとりずつの頭と手が集まってできる。当然のことだが、それをこうして一冊の本に実感できるのは、平松剛さんが広げる「大風呂敷」のマジックだ。

     ※

この○×△□案はボツとなる。2つの高い塔を中心とした丹下健三の案が7票中5票を集め、以来18年、外見上は西新宿の高層ビル群になじんでいる。あの巨大な羊羹がもしこの敷地にどーんとあったら……都があれほど望んだ"シンボル"は、むしろよっぽど実現されたのではないかとも思う。新都庁竣工の6年後(1996)、磯崎の○×△□によく似た建物が、丹下によってお台場に作られた。フジテレビ本社社屋だ。老いて恥を失ったかと笑うもいいが、新都庁コンペでかつての弟子が真っ正面から出してきた対抗案が、丹下にはどれほど眩しく妬ましかったのではないかとも思う。自分がもしあのコンペの審査員だったら——。その実現しなかった一票を丹下は建築家として世に投じたのではないかと、平松さんの「大風呂敷」の上で私は思う。

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