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『巨大建築という欲望――権力者と建築家の20世紀』ディヤン・スジック著/五十嵐太郎監修/東郷えりか訳(紀伊國屋書店)

巨大建築という欲望――権力者と建築家の20世紀

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「建築と政治の密接な関係」

                            宇波 彰(評論家)


 巨大な構築物は、権力・財力を持つ者の「欲望」の表現である。スジックは本書で、その欲望の醜さと、彼らの欲望に応じて巨大な建築を作る多くの建築家に対する痛烈な批判を繰り広げる。スジックのいうように、「ムッソリーニスターリンヒトラーは、みな建築を政治的なプロパガンダに欠かせない道具として扱っていた」のであり、「二十世紀に権力を握った独裁者で、建設キャンペーンに乗りださなかった人物を探すのはほとんど不可能」である。それほど政治と建築は密接につながる。

 いままでしばしば論じられてきたのは、腹心の建築家であったアルベルト・シュペーアの協力を得てこの「欲望」の実現を夢想していたヒトラーのばあいである。ドイツの新首都ゲルマニアヒトラーは、死の直前までシュペーアとともに構想していたといわれる。スジックは、「ヒトラーにとって、ナチ政権の設立は、彼の建築上の野心を実現するための手段でもあった」と指摘する。このことは、かつてクラカウアーが『カリガリからヒットラーまで』(平井正訳、せりか書房)のなかで、ヒトラーゲッベルスリーフェンシュタール「意志の勝利」を撮影する目的で、ナチスの党大会を「上演した」と説いたことを想起させる。つまり、権力者が巨大建築を造るのは、単に「権力の誇示」だけを目的とするものではない。普通の人の眼で見ると異常としか思えない建築への「欲望」が存在するのであり、そのことをスジックは強調する。権力者の野心の成就に荷担しようとした典型的な建築家がシュペーアであり、彼は「全体主義を目に見えるかたちにすることで、その実現に寄与した」建築家として規定されている。スジックはこのシュペーアの息子が、現代中国の国家プロジェクトにかかわる建築家として活躍していると、皮肉を込めて記している。

 斎藤忍随の『プラトン』(岩波新書、一九七二年)は、三〇年以上も前に書かれたものであるにもかかわらず、プラトンの入門書として出色のものである。そのなかにヘロドトスからのつぎのような引用がある。「御承知のように、神は常に最も高層な建物や、最も高き樹木に雷箭を投ぜられます。抜群の巨大なもの一切の矮小化、これこそ神の好み給う習いであります」。古代ギリシアの神話的世界においてさえも、神は人間の作る巨大建築を嫌っていたのである。それは人間の傲慢のしるしであったからであろう。

 これまでの巨大建築批判は、ヒトラーと組んだシュペーアの仕事、スターリン様式と呼ばれる巨大で面白味のない旧ソ連圏の建築が対象であった。特にシュペーアは東秀紀の『ヒトラーの建築家』(NHK出版)のなかで小説風に描かれていて、そこには竹橋にある東京国立近代美術館などの設計で有名な谷口吉郎も登場する。また一九九五年にはアメリカでジッタ・セレニーの分厚いシュペーア伝が刊行されている(Gitta Sereny, Albert Speer, his battle with truth, Knopf)。しかし本書では、いままでほとんど論じられなかったフセイン時代のイラクの建築、天安門広場を含む現代中国の公共建造物が考察されている。二〇〇八年の北京オリンピック・スタジアム(「鳥の巣」と呼ばれている)がスイスの建築家たちによって建てられつつあることもスジックの視野のなかにある。スジックは、そうした全体主義的国家プロジェクトに参加する建築家のみならず、財力にものをいわせるひとたちに迎合する建築家をも批判する。たとえば、イタリアの自動車産業の覇者フィアットの長老、そのコレクションを収める美術館の設計を依頼されたレンゾ・ピアノについても次のように批判している。「ピアノ自身の作品は、スラム地区の活動家や科学によってかたちづくられているのではなく、銀行家や保険業界の大物たちとの関係によって実現されているのだ」。スジックはコルビュジエさえも批判の対象としているのであり、彼にとって、批判の対象に聖域は存在しない。

 スジックは、現代の建築家の作品について皮肉な眼を向ける。フランク・ゲーリーは、世界七位、フランス第一位の富豪アルノーの邸宅の設計を依頼されたと伝えられる建築家であるが、彼がスペインのビルバオに作ったグッゲンハイム美術館は「列車の衝突事故」のような建築だと形容されている。そうしたゲーリーやピアノの仕事は「世界の政治的な背景との契約に左右される」とスジックは指摘する。

 本書によって読者は、現代の建築家がどれほど権力・財力を持つ者と結びついているかを、はっきりと知ることができるだろう。しかも本書はけっして堅苦しい建築批評ではなく、いたるところに興味深いエピソードを織りこんで書かれているから、読者はいつのまにかスジックの記述に引き込まれてしまうはずである。東郷えりかによる翻訳はたいへん読みやすく、また巻末の五十嵐太郎の解説はきわめて魅力的である。

*「scripta」第6号(2007年12月)より転載


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