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『ワシントンハイツ——GHQが東京に刻んだ戦後 』秋尾沙戸子 (新潮社 )

ワシントンハイツ——GHQが東京に刻んだ戦後

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「この本を片手に代々木公園を歩こう」

1964年の東京オリンピックで選手村となり、その後森林公園として整備された代々木公園には、今も選手宿舎として使われた建物が一棟残されている。これに転用されたのが、1945年12月に連合軍に接収されて米軍の将校家族の宿舎として建てられた827戸の家、ワシントンハイツだ。現在の代々木公園からNHK放送センター、渋谷区役所の手前あたりまでの一帯に学校や教会、劇場なども備え、アメリカでの暮らしがそのままできるように用意された「アメリカ」の町である。

『ワシントンハイツ——GHQが東京に刻んだ戦後』は、終戦から東京オリンピックまでの日本の激動期を象徴する大きな舞台となった現在の代々木公園の歴史を史実と証言でまとめており、戦後わずか1年程度の準備期間で用意されて東京オリンピックまでには取り壊されたワシントンハイツを、被占領国の私たちにアメリカ的なものへの恐れではなく憧れを植え付けた磁場として、また、その後の日本における<アメリカ化の原風景>として描いている。占領はみごとに成功したがその体験が逆にアメリカを束縛してイラクの軍事占領へと向かわせたのではなかったか、また日本は、かつて憧れたことも体験として受けとめたうえで知恵を絞れば、わが国にしかない<国の形>を探し出せるはずだと著者は結ぶ。

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アントニン・レーモンドが設計した日本の木造長屋を用いた実験によって確証を得た<焼夷弾による延焼率が高く、空爆目標に最適>な東京はみごとに焼け野原となり、そんなところでアメリカでの暮らしを再現したいとの要求はどんなにか無謀であっただろう。1947年に設立された特別調達庁は、工事、需品、管財、労務、芸能とあらゆる面にわたって便宜を尽くす。それに応えた市民や企業が、その後ワシントンハイツのライフスタイルを日本に根付かせる先鞭を担う。モデルがあってそれを求められて工面することは厳しかっただろうが、なによりも「憧れ」という感情が後押しになったに違いない。公園の近くに本社を構えるクリーニング大手の白洋舎や高級食材を扱う紀ノ国屋のなりたちも大きくここに依っていて、そうしたエピソードもたくさん紹介されている。

また巻末の参考文献には膨大な量の資料が並ぶ。著者は1つ事実に会うたびに、逆の視点からの記述を求めて資料にあたったのではなかろうか。そして全体にわたって散りばめられた証言が、キラ星のようにまばゆい。ワシントンハイツに暮らした人、出入りした人、遠巻きに見ていた人、関わった人などなどを、時間をかけて日米に訪ねている。今たまたまこの界隈の賃貸マンションに暮らす私は、毎日前を通るような酒屋、本屋、八百屋、寿司屋、新聞販売店、病院などの名前を見るにつけて、仮住まいをいいことに土地のうわずみに澱んでいることを思う。

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『ワシントンハイツ——GHQが東京に刻んだ戦後 』は、「代々木公園」で検索して今たまたまこのページにたどり着いたひとにも薦めたい。詳しい地図も写真もないが、絶好の代々木公園散歩読本だからだ。この本を片手に代々木公園の奥深くまで歩き、西門あたりから公園を出て周囲を歩いてみて欲しい。終戦から東京オリンピックまでの日本の激動期を象徴する大きな舞台となったこの場所が、道路や木々、建物の下に、きっと見えてくるだろう。


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